OCM一級建築士事務所
 

2007年03月


  2007年3月30日(金)   うずまきna夜
終日、様々な作業。

4月早々に、新しく創刊される『建築日和』という雑誌企画(ぽむ企画もの)での「建築ツウ的○○バスツアー」というものをやるので、その“旅のしおり”つくりなど。

○ ○の部分はお楽しみにしていて下さい。
※じらしているわけではなく、生き馬の目を抜くような業界なので、ふせております。

               §

夜、アキラ君とともに、三軒茶屋のheaven's doorに連れ合いのライブを観に行く。
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  2007年3月29日(木)   時速40キロの夜桜
異様にあたたかい。
午後「上尾の家」現場へ。

             §

夜、恵比寿-芝-外苑東通り-江戸川-新目白通り-千川通り-江古田-山手通り-恵比寿
と、桜咲く夜の東京を、久しぶりにVESPA で走る。

宴会をするでもなく、ライトアップされているわけでもなく
信号待ちで、ふと見上げると、水銀灯の青白い光を浴びた桜

その一瞬

この気持良さは、何事にも換え難い。
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  2007年3月27日(火)   OCMホールディングス
3年前にインターフェースの意味を知り
2年前にソリューションの意味を知り
2週間前にアウトソーシングの意味を知った

意味は……が、外注ですって……

「いざり魚」の名前がかわりそうになっているのと同様に外注は「害虫」という言葉を彷佛させるから、カタカナになったのか……いろいろ詮索する


だが、いまだにナントカ・ホールディングスの意味を知らない

たぶん、知らないままでも生きていけると思うので、どうかみなさん僕にナントカ・ホールディングスの意味を知らせないでください。

そして、知らないことをおもしろがって下さい。
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  2007年3月26日(月)   out of order
またコンピューターが一台壊れた。
延長コードがだめになっていたらしく、変な電流が流れて、画面がムンクのようによれよれになって、そのうちボンッ!という音とともに息絶えた……。

うちには今、CDを食ったまま吐き出さないものを含めて3台の壊れたコンピューターと、壊れたプリンターと壊れかけのプリンターと、これまたテープを食ったらめったに吐き出さないデッキと、音の出ないtascamの4チャンネルレコーダーがある……。

廃棄物に囲まれて生活するのはあまり気持のいいことではないので、見る度に悲しくなるし、何かを訴えてくるし、そろそろ処分しなければ……
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  2007年3月25日(日)   
休日。
一日、楽しく過ごす。

              §

夕方から、“オーブン導入計画”に関わるスペース確保のため、台所の棚を一掃する。


多くの物を捨て、また多くのモノを得ようと

貪欲に……
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  2007年3月24日(土)   コーススレッド
一本3.3円くらいのコーススレッド75mmを、18本、(つまり60円くらい)欲しかったが、近所の金もの屋では箱売りしかしいていなかったので、しょうがないので300本・1000円を購入した。

一生分のコーススレッド75mm。
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  2007年3月23日(金)   ハッスル
午めし。
いかなごの釘煮釜飯(峠ヴァ−ジョン)に山椒ぱらぱら。

火加減に気をくばったので、すごく上手く、美味く、できた。
あとは、いんげんとザーサイの炒めもの、卵焼。

                §

先日のコンペの結果は敗北。
61才のJさんの勝ち。

建て主さんからのコメント
「私達には斬新すぎました……」
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  2007年3月22日(木)   
昼、「下総中山の家」現場。
柱状地盤改良の様子をうかがいに。

下総中山→秋葉原→上野と経て高崎線で「上尾の家」へ。
(前は武蔵野線で行ったが、コンピューターの指示によるとこちらが正しいコースみたいだ。)

「上尾の家」“梁替え工事”がうまくいったようで、やっと落着いた。

               §

写真は軒先。
二重垂木でなんだか賑やかだが、屋根通気層を伴う場合、自然にこのような美しい軒天井になる。

今はオーソドックスに力強い加工を露出させて“あたりまえの家”らしくさせているが、今後は二つやりたいことがある。

一つは、この架構の力強さを恣意的でより抽象的な表現に向かわせるということ。

もう一つは、このような架構を持つ民家に天井を張り、装飾を加え「民家+座敷=数寄屋」を完成させること。

               §

昨日は恵比寿から練馬まで2時間、本日も合計80分以上歩いたので、足がパンパンにはっている……。
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  2007年3月21日(水)   28才
「部屋の中で僕の、結城の、妹がいる。僕はベースをひきながら、彼女はドラムとオルガンをひきながら、結城からの連絡を待っている。もうに二時半になる。これから京都に行ってスタジオを予約して、練習せねばならないのに、結城からの連絡はない。『今から行くと練習をはじめるのは夜になるね』と二人で話し合っている。」
28才(1993年5月)の時の日記より

               §

日建設計に入って3年目。別のスケジュール帳をのぞいてみる。

兵庫にいる彼女との2年間の遠距離恋愛が破たんになって、ボロボロになって、行く末を模索している時期。ゴールデンウイークに北九州までドナルド・ジャッドの展覧会を観に行ったり、日建設計大崎寮で“バブルの残り香”のような派手なパーティーをやって警察が来たり、群像新人賞に短編小説を応募して村上春樹になろうとしたり、友達と写真展をやってアラーキーになろうとしたり……しかし、そろそろ兵庫県との絆がなくなったんで、東京で生きて行く決意をして、会社から帰ったあと、様々なコンペに取り組み、“コンペで勝って独立”なんて都合の良いことを考えていた時期。

日記をみると、日曜日ごとに“夢日記”をつけていた。

               §

もう“夢”しか信じるものがなかったような、そんなザラザラした28才だったような気がする。昔の、バンド仲間が夢に出てきて、ある意味、ミュージシャンになりたいとか、写真家になりたいとか、小説家になりたいとか、そういった欲(ごまかし)と決別して、建築一本で生きて行く諦念が芽生えはじめた頃だと思う。


※くるりの「人間通」を聴きながら
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  2007年3月20日(火)   書院
きのう、本棚をつくった。
その後、ずっと本棚の前に居る。

落着く
本棚は、いい
本棚が好きだ
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  2007年3月19日(月)   イカナゴの不漁、イイダコの大漁
午めし

明石から送られてきたイイダコと白菜の奈良漬け。
イカの塩辛、ノリとノリの佃煮。

横川の釜飯の“空き釜”で、ごはんを炊いてみた。

うまく炊けた。
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  2007年3月18日(日)   大安、快晴、強風
朝から「下総中山の家」地鎮祭

いよいよはじまる、気が引き締まる。

               §

晩、TELL君来所。
先般のいいつけをよくまもり、写真を撮りまくっているらしく
「中間プレゼンです、みてください」
と、茶封筒に入った写真を差し出す。

「まだまだやねえ」
と元講師、エラソーに批評というより、姿勢を説く。

6/14に日本を発つという。

残り三ヵ月、イイ写真集ができることを願う。

               §

若き写真家の梅佳代さんが、“写真の芥川賞”と言われる「木村伊兵衛写真賞」を受賞した。

す、すごいことだ……

過去の受賞者をみれば、写真ツウならそのすごさは一目瞭然。
「藤原新也、田原桂一、三好和義、宮本隆司、星野道夫、都築響一、ホンマタカシ、長島有里枝、蜷川実花、HIROMIX、川内倫子佐内正史……」

ちなみに、今回同時受賞した本城直季は、“建築の人間”であればピンとくるはず。「ザ・藤森照信」(エクスナレッジ)の写真でおなじみの人ですね。

※川内倫子の「りんこ日記」は終わってしまったけど、すごいですよ……。(というか、僕も今日はじめてみました)
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  2007年3月17日(土)   人生の正午
「人生の正午を迎えられるかどうかは、ひとえにおまえのなかでその意志の力が育つかどうかにかかっている。それには天の配剤を讃えてばかりいる人間の仲間にけっして加わらないことだ。」
『貝の帆』丸山健二

人生の正午をそろそろ迎えよう
そして永い午睡にまどろもう
夢現(ゆめうつつ)を行き交おう
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  2007年3月15日(木)   いつもと変わらず
終日事務所ニテ作業。

少し寒いので、晩ゴハンはオデンにする。
浅煮えで、でも、待ちきれない時は、ポン酢醤油をかけて食べればいい。

               §

たてつづけに3ツウ、K2日記読者からメールをいただいた。
生々しさがトリエのK2日記、御本人に許可を得ずに、概略を……。

Fさんの場合
「私、実はバンタンに入学する以前に、大学で建築の勉強をしていたのですが、その頃から大島さんのHPを拝見させていただいていました。実は大島さんにとても憧れていて、バンタンに入学してから度々話しかけるチャンスを伺っていたのですが、ついに卒業式になってしまいました。今も頻繁に日記を読ませていただいてます。直接お話させていただいたのは昨日が初めてでしたが、バンタンでの2年間、大島さんの日記を読んで、とても励みにさせていただいていました。ありがとうございます。」

Mさんの場合
「大島さんと初めてお話させていただけて本当に嬉しかったです。答辞の時に、突然お名前出させていただいて、失礼しました。実は言うと、もっと前々からお声を掛けさせていただこう と思っていたのですが、なかなかいいタイミングが無く、卒業式になってしまいました。うっかリズムです。」

熊本のWさんの場合
「日々ご活躍のご様子、嬉しゅうございます。毎日Deepな建築ツウのブログを拝見して楽しんでおります。近著『建築ツウ的 マンガで学ぶ 和のこよみ』拝見しました。少しだけ、日本人らしくなれました。」

                §

ありがとうございます。
がんばります。

※あっ、そうそう、今晩テレビで都知事選の生討論会をやるみたいです。K2日記読者の皆さんにおかれましては、是非「黒川紀章の立ち居振る舞い及び言動」を、じっくり鑑賞致しましょう。楽しみです。
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  2007年3月14日(水)   西の空
午後「上尾の家」現場へ。
プロデュース会社の人が来て「現場確認」
“検査”ではないという。

一通り視終わったあと
「手刻みですか、いい仕事してますね」
と、うらやましがられ、少し上機嫌。

先週から問題が起こって、ピリピリしていたので、少し自信をとりもどす。

梁を交換するその方法等をしっかりと確認して、現場を後にする。

               §

帰り、池袋に寄る。
空がきれいだった。

少し、気持が晴れた。
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  2007年3月13日(火)   80
80年代の音楽は、大嫌い、だった。
二十歳(はたち)の頃  jazzに逃げた。

が、今、その音楽が何だったのか考えると、村上龍が言うところの(原典不明)

「若い女の子の退屈な話をバケツ一杯頭から浴びせられながら、相手にはしずくひとつかけない」

という、ことと

誰しもが持っている、それこそ原始人の頃から持っている初源的な叫びを封印し、相手を気持よくするというサービスへと置き換えることのできる、稀有な時代精神であったと言える。

今、自分がやっていることを考えたりすれば、まったくその通り。

上の世代は「吉田拓郎世代」 そのまんま叫べばよかった。

個人的に興味はないが、社会的な話しとして、僕と同い年でもうとっくの昔に死んでしまった尾崎豊君なんかは、ちょっと生まれる時代をまちがえちゃったんだと思う。

そんなことはみんな思ってるけど、もっと、上手にやんなきゃって……。

ただし、上手にやればやるほど、心の奥底に、何か沈殿物がどんどん増えていくわけだけどね……。

だから尾崎君の死体はきっと何の沈殿物もなく、きっと、とってもきれいだったと思う。


                 §

明日は白デイ。

何もできませんが、チョコレートをいただいた「幡ヶ谷の家」の建て主さんと娘様たちに80年代ノンストップ・リミックス(されてない)DJをお贈り致します。

※会社でこっそりみてる人は、おうちに帰ってから聴きましょう。

Depeche Mode - Just Can't Get Enough

New Order - Ceremony

Tom Tom Club - Genius Of Love

Scritti Politti - Absolute

Prefab Sprout - Faron Young

YMO - Taiso

Madness - My Girl

Thompson Twins-Hold Me Now

結論
こういうおっさんとかこういうおっさんになりたい
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  2007年3月12日(月)   life goes on
詩人の三代目魚武濱田成夫が言っていた。
天気に気持を左右されるなと。
似た話に、
茶室を形成する庭、茶庭も、季節感を出さない植物を中心に構成されているという。
人為でねじふせる美学のためには、季節感、自然はじゃまになる。
といった言い訳を収集しながら、陽のあたらない、外の天気のわからないこのアジトのような事務所で日々仕事をしていることを正当化しようとしている。
そのかわり、散歩をし、旅をすることへの欲望が、日々うずまいている。
                §
午後、渋谷の税務署へ確定申告へ。
“天気がいい”ので、歩いて行き、歩いてかえる。
簡単に天気に左右されている。
                §
夕方からバンタンデザイン研究所の卒業式。
学生とは20才ほど年が離れているが、明日からは敵手となる。
容赦はしない(笑)。
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  2007年3月11日(日)   それぞれのライフ
朝から、新宿にてコンペのプレゼンテーション。
61才のJさんと、58才のKさんが相手。

僕は41才。
面談の時、建て主さんにおもわず聞いた。
「多くの建築家の中からお選びになられて、光栄ですが、ボ、ぼくだけ、若いんですけど、何か意図は……」

特にない、とのことでした。

              §

よく闘った。

帰り、雨がやんでいたので、明示神宮に向かい、原宿まで歩く。
もっと、歩きたかったが、雨が降ってきたので、電車にのる。

              §

事務所に戻って、確定申告の書類作成。
ありがたいことに連れ合いが、整理してくれていた領収書をパチパチと電卓ではじく。

日曜日よりの使者は来ない……
夜は更けていく……
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  2007年3月10日(土)   五種競技
昨日ともに終日事務所にて作業。

現場とのやりとりや、コンペの準備。

「図面、模型、写真、スケッチ、文章」の五種競技。

それらを提案書に盛り込み、念を入れる。
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  2007年3月8日(木)   24時間
昨日現場でミスを確認した。
化粧梁に不要な根太掘り。

というか、上棟時に久しぶりの手刻みだと“うかれて”いて、確認できなかった“監理者としてのミス”である。

帰ってからそれを施主に報告し、それを取り繕うような提案をし、懐の深い建て主はそれを受け入れてくれそうになった。

確認から24時間後、今日の夕方「やりなおす」ことに決めた。

「張った化粧野地板をはがし、架けた化粧垂木を取り払い、込み栓、楔を抜き、小舞、広小舞、面戸をはずし、束、母屋をはずし、上棟した棟を解体せよ……」

その指示をする“勇気”が出るまで、24時間かかってしまった。

よろしく新聞に出て笑っている建築家。
「ああ実際はこんなもんですか?たしかに地雷源ですね、しょうがないですね、建築業界はしょせんこんなもんなんですね……」
という“架空の”声が、24時間脳に鳴り響いた。

それに耐えられなかった。

               §

一度だけ、会社をつぶしてしまって、借金取りに追われて、我を失った工務店の社長に
「今からあなたを刺しに行ってもいいんですよ。」
と電話で言われたことがある。
もちろん会社が潰れたのは僕のせいではない。

かといって、匿名で文章を書いたり、住所を隠したりすることはしたくないし、こんなチンケな日記に、隠し事もしない。

そのかわり、いつまでたっても“家庭”は持てずにいる。
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  2007年3月7日(水)   京葉富士、埼京富士、武蔵野富士
朝から「本八幡」の市役所へ。
それをコピーして「市川」の施主宅へ。
「西船橋」に向かい総武線から武蔵野線に乗り換えて「南浦和」へ。
京浜東北線に乗り換えて「大宮」へ。
高崎線に乗り換えて「上尾」へ。

越谷あたりの車窓から、たぶん、うっすらと富士山が見えた。

これで「京葉線」「埼京線」「武蔵野線」から富士山をみたことになる。

               §

「上尾の家」現場。
上棟後、一週間、もう“天井”が“仕上がった”。
いや、厳密には天井ではない。化粧野地である。

僕の中では、これは「民家」
天井を張れば、「数寄屋」「座敷」になると考えている。
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  2007年3月6日(火)   テレフォン・ライン
プルルル……
「コー“デ”アル証券ですが……」
「あ、あ、うちは関係ないと思いますので、失礼致します」
ガチャ、ツーツー

プルルル……
「あれ、ダンナさん?お若いわね、お墓の分譲なんですけど、よろしいかしら、あら、20代か30代かしら?」
「いや……、うちは、いいです……」
ガチャ、ツーツー

プルルル……
「ヤフ“ウ”の検索でですね、スポンサーサイトがですね……一番に表示されて……“推薦企業”というカタチでですね……」
「いや、間に合ってます……」
ガチャ、ツーツー

プルルル……
「エヌテーテーの代理店の○○でして、そちらのビルに“光”が入りまして、つきましては……」
「もう、入ってます……」
ガチャ、ツーツー

プルルル……
「某構造設計事務所です」
「ハイ……」
「うちは学会でも評価され、建築基準法もつくった凄腕だ、おたくの仕事やらせてくれ」
「うちは○○円くらいで構造計算やってもらってますが」
「あっそうですか、じゃあ、それでいいんじゃないですか。うちは100万円からです」
「えっ!ひゃ、ひゃ、百万円、か、ら?」
「ええ、そうです。人の命に関わることですから」
「でも、一般の戸建ての住宅で出す人いるのですか?」
「意匠設計者が、設計料を取り過ぎているのですよ……」

そう逆ギレ気味に言われ……ガチャ、ツーツー
(何だコレは……営業か?……意匠への怨恨か?……)

プルルル……
「○○市役所です。確認申請おりましたので取りに来て下さい」
「あ、あ、ありがとうございます……あ、あ明日取りにいきます」
「若干の修正がありますので、修正印お持ちください」
「(若干?けっこういっぱいあるんだけど……)は、はい……ありがとうございます」ガチャ、ツーツー



日々の「telephone line」ELO

              §

午めし

昨晩連れ合いが“つくり置いた”“ロシアのストロガノフ公爵が発明した”らしい食べ物と、“洋風の玉子焼”、と、菜の花、と、ちょっと酸っぱいドイツ風のパン。
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  2007年3月5日(月)   つよい子
午めし。
「残り物」という言い方は、そろそろ変えたい(変えればいいじゃない……)。

「つくり置き」にするか。

□タコめし(しらす、わさび、出汁醤油少し、万能ネギ)
□ハマグリの酒蒸しをした後の汁に白菜を入れた汁もの
□いわしの煮付け
□ 3日くらい前の、炒め煮(鳥モモ肉のゼラチンがジュレみたいになっているところが好きだ、冷たくてもおいしい)

午から満腹でどうする、K2……。

             §

一日中“めし”のことばかり考えている、という状態が、決してあさましいことでもなく、かたじけないことでもなく、ビンボーなことでもない、フツーのことであり、むしろ「かしこみ、かしこみ」の状態に近いことを検証している。

「めし、家、地名、祖霊」を大衆から奪うことによって、現代社会は完成した。

またそれらを外注化することによって、経済は成立している。
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  2007年3月4日(日)   フォトジェニック
朝からガーデンプレースへ。
写真映りのよさそうな「タコ、いわし、牛スジ」を買う。

事務所に戻って、写真撮影。

某雑誌の「“めし系”連載エッセイ」のため。

午後からはガラス瓶を一ダース買って、乾物などの整理。
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  2007年3月3日(土)   昌平坂
朝から設計。

昼から新小岩へ「下総中山の家」工事契約。

早くに終わったので、お茶の水で電車からころがり落ち、湯島の聖堂を通って、古本屋街へ向かう。

明倫館にて
「ルイス・カーン建築論集」
「フィリップ・ジョンソン著作集」
「フランク・ロイド・ライト 建築家への手紙」
の3册を購入。

K2では最近“巨匠の研究”をしている。
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  2007年3月2日(金)   日々の素振り
午めし
「ごぼう、れんこん、にんじん、たけのこ、かしわの炒め蒸し」

偽色カメラにて撮影。
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  2007年3月1日(木)   BO
夢の中

80〜90年代は、残酷な時代だ。
バブルでGO!と言ってしまえばそれだけだが、こういう人達を、葬ってしまた。

今でこそ京都系ロック(フォーク)は、くるりの岸田君が王道をひいてくれているが、“どんと”は、ボ・ガンボスになったあとも、ライブは盛況なものの、やればやるほど、結局、なぜか、死んでしまった。

誰でも知ってる、奇妙で、素敵なミュージシャンが、売れなくて(直接的なインガ関係はないが)死んでしまう。

バブルとはそういう時代でもあった。

岸田君やはなれぐみの永積君の音楽を聴いていると、どんとへの鎮魂をフッと感じる。

               §

“まちがえて、まちがえて、手も足も、出せなくて”
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