OCM一級建築士事務所
 

2007年01月


  2007年1月31日(水)   ローリエ、月桂樹、ローレル
終日事務所ニテ作業。

某建築雑誌より、小さなエッセイ連載の打診あり。

ウェブ・マスターの中村さんより、自家製のローリエが大量に届く。
ありがたや、ありがたや……

夜、佐々木アキラ家がペアで来所。
僕の16才頃の日記を読んで楽しんでいただいた。

6/72本届いたワインを飲む。

佐々木君にも、そのワインの通販をすすめた。
オバチャンみたいだなあ……と苦笑い。
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  2007年1月30日(火)   スジ
終日事務所ニテ作業。
午、所用で『代官山share spirit』に顔を出す。

             §

A大工、B工務店監督、C工務店監督、D工務店監督、E施主、F雑誌記者、G新聞記者、H地盤改良会社、i地盤改良会社、J施主、K施主、Lステンレス製作所、M施主、N連れ合い、通帳記入、コーデイネート料振り込み……

電話、メール、携帯メール、郵便、面会、ATM、様々な手段をつかって一日でこれだけのコミュニケーションを図る2007年1月現在。

             §

昔から僕が精神的ささえとしている民族学者 宮本常一は3、40年で16万・歩いたという。もちろん、歩いて何をしていたか?それは「人の話を聞く」ということ。

まだまだ僕は歩き足りない。

昔、そう柳田クニオやオリグチシノブの頃は、民俗学とは「起源を求めるもの」であったが、宮本の頃から「行く末を知る術」に意識が変わってきていた。

以下 松岡正剛千夜千冊より引用
「日本の建築家が住宅が好きなのには、3つの理由があるという。@住宅が箱庭の役割をはたしている。だからおもしろみに凝れる。A箱庭はコストもかからないから駆け出しの建築家でも注文を受けられる。B住宅は人間生活の基本だという崇高な思想が守れる。この3つだ。しかし、この3つにしがみついているために、日本の住宅嗜好も建築家の住宅志向も根本的な病気から脱出できなくなっていた。そう、隈は判定した。」

そういうコトを言う、10年年上のケンチクカに、イライラする……。
頭のイイ人は好きだ。

挑発に乗らず、このままやっていこうと思う。

今30才のケンチクカもK2にイライラすべきだ。

ちなみに、「反オブジェクト」つまり「建築は商品ではない」と、最近隈さんはアジっているが、どこの雑誌を開いてもお顔が拝見できる隈さん自体が商品になっている、というか自意識でなろうとしていることは明白なのだから、一言「建築は商品ではないが、建築家は商品になって消費されればいいのさ、がははは」と言ってくれれば、隈さんがこれまで言ってきたことにすべで「スジ」が通るのに、と思う。
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  2007年1月29日(月)   camp
午前出講、午後13:38の“高崎直通”に乗り「上尾の家」現場へ。
配筋検査。

Door to door  3時間でエビスに戻り、諸務に勤しむ。

武蔵野へ、狭山へ、上尾へ……
いろんなところへいくための、ここエビスは、base camp.

              §

初日筋肉痛+二日目筋肉痛がかさなり、子鹿状態……。

写真:
西武球場はよかった……
誰もいない、鉛色の空、休む冬のスタジアム

マツザカ、キョハラが、こんな人のいなところをホーム・グラウンドとして、毎日試合後、高級車を走らせ暖かい家庭へ戻ったのだな……と思うと感慨が深い。

ぽむさんが球場マニアだと言っていたので一度御一緒したい。
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  2007年1月28日(日)   西武蔵
午、国分寺へ向かう。コンペの敷地を検分するため。
“この”地図だけをポケットに入れて、手ぶらでぶらぶら、不審な普請者。

そのまま、北西へ歩き卒展をやっている武蔵野美術大学へ。
大学院の志村信裕君の修了制作“だけ”をみて、志村君に挨拶し、また北西へ歩き続ける。

目指すは多摩湖、狭山湖。特に理由はない。
“この”地図をみて、行ってみたいと思っただけ。
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  2007年1月28日(日)   健脚商売
タマ子は興味深い場所であった。
もっとレジャー地なのかと思ったら、親水的ではなく、貴重な水源と自然はしっかりとまもられている感じ。

途中、信じられないが野生のふくろう(みたいなものだが本当は巨大なリスなのかもしれない……)がいたりした。
ちっちゃなトトロみたいで、木のウロの中にすっぽり納まっていた。

湖畔〜丁目というあたりを歩き始めてしまい、当然蛇行しているのでなかなかどこにも着かない。

日は暮れ始め「武蔵大和」や「西武園」へはもう戻れない。
やむなく西武球場まで歩く、が駅がみあたらない、どうやら道を間違えたよう……このままだとまたタマ子を半周して西武園へ向かわねばならない。

めったに「引き返す」ということをしないが、我慢して引き返し、駅を捜す。

霊園の中をぬけ、無事駅発見、ちょうど日没。

駅前の誰も客のいない食堂で、ビールとソース焼そばを食べ、5人くらいしか乗っていない電車で帰途についた。
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  2007年1月28日(日)   ととろ
かわいい。
巨大な望遠レンズを構えたオジサンカメラマン達に十数人に囲まれて、ジーッとしていました。
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  2007年1月28日(日)   志村君へ
今日はいいものみせてくれてありがとう
歩き疲れたので、ちゃんとした批評ができませんが

日常の何かそのパラメーターみたいなものを少しいじり、かつ人の中にある整理整頓しなければといった強迫観念や、本当は散らかしてみたいという本能的な衝動を、そう、リアルな人生が左折だとしたらじゃあ右折してみたらどうなっていたの?というシュル・レアリスム的な光景をみせながら、ああやっぱり錯覚だったとすぐに現実に戻し、片づけなきゃ、という常識的な感情を出し入れしたりするといった誰もがもっている意識をかわいらしく操作して視覚的にその日常的な小物と本来はもっと大きいのであろう人間とのスケール差をなくし、例えば一円玉の、例えばマッチ棒の海の中に浸りながら鑑賞者が意識をあやつられるといった作品でした。
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  2007年1月27日(土)   上海の仕事できました
午後、基本設計中の「太東崎の別荘」打ち合わせ。

                §

夜、高田の馬場のとんちゃんにて「iA04号」の打ち上げ。

O編集長、写真家の渡辺慎一氏と長谷部均氏、アートディレクターの原条令子さん。
原条さんとは10数年ぶりの再会。
「マンガで学ぶ和のこよみ」の装丁も原条さんの仕事。

昔の遊び仲間が今皆第一線で活躍し、かつ一緒に仕事ができることがとてもうれしい。

                §

iA04は「装飾主義」という特集です。
隈研吾や高松伸が装飾について熱く語り、その間に挟まれていくつかのテキストをかかせていただいてます。

装飾の力
装飾は犯罪か?
アール・デコとは何か?
現代における装飾の意味
「yong foo elite」について
「mint」について
上海デコの魔力
「上海デコ」とは
「上海デコ」のデザイン的特徴
「上海デコ」のコンヴァージョン技法
CAへのインタビュー「上海の建築状況」
エッセイ「城市上海の臭気」

これであなたも“上海ツウ”
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  2007年1月26日(金)   テアトル
終日出講。

夜、OCMのウェブ・マスターN村さんが来所。
栃木よりはるばるお酒を持ってやってきた。

インドから帰ってきたギャラリーSITEオーナーの斉藤氏を交えて飲食。

                §

写真:先日ちらっと書いた大島君24才の時の作品「NOISE THEATRE」。

THEATERでなくTHEATRE、テアトルに近いスペル、4本コアの強い古典的形式、竹山聖のノンシャランなクラシシズムという言葉がかっこいいと思っていた頃、フーツラ・メディウムのインスタント・レタリング、赤コピー、スピード時代が到来した当時の大正モダニズムな車の写真、モーフォシスに影響を受け青錆を発生させた木の模型、廃墟の力、黄ばんだ紙に朱を挿す全体のトーンはイギリスのなんとかウィルソン?って人のドローイングの雰囲気を真似ていたような気がする。絶対に玉虫色の緑化、緑、植物などを計画に入れないと決めていた。じねん(自然)としての人工物に覆いかぶさるような人工・アーティフィシャルであることにこだわっていた。

バブルの絶頂期、自閉症、モラトリアム最後の年、24才の青年の脳の溶け方。
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  2007年1月25日(木)   PLAY
終日事務所ニテ作業。
諸プロジェクトのnon stop power play。

2.3年前からdrasticに事務所の体制を転換してきて図ってきた「質の向上」の結果をそろそろ出す時期。

そしてその次の課題、「working poor」からの脱出にも着手せねば……。

Making with quality and pride

               §

渋谷のBEAM。
好きな建物の一つ。
通りに開放された半アンフィシアター。
一時期、ゲームセンターになって悲しい姿になっていたが、ヨシモトの力を借りて、建物本来の半野外劇場の姿を取り戻した。

未だ劇場を設計する機会はないが、学生時代は「野外劇場」というビルディングタイプに、都市のアジテーション機能があるのではないかと研究に勤しんでいたことを思い出す。

高速道路の上にアンフィシアターをしつらえ、下に走る車を45度の鏡で反射させ、それをホリゾントに、騒音の中でアインシュツルテンデ・ノイバウテンのようなインダストリアル・ノイズ・ミュージックと身体の動き……
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  2007年1月24日(水)   建築、料理、音楽
終日事務所ニテ作業。
別荘の設計、構造事務所にスケッチを送り、構造感を確認し、より前に筆(マウス)が進む。

逆梁にして床下をつくり、下階の天井はスッキリ、単純なスラブ&ウォール、壁の縦横比に何らかの美学的根拠を見い出すことに、時間を費やす。

昼ゴハンの材料。
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  2007年1月24日(水)   NO ARCHITECTURE,NO FOOD,NO MUSIC NO LIFE
終日事務所ニテ作業。
別荘の設計、構造事務所にスケッチを送り、構造感を確認し、より前に筆(マウス)が進む。

昼ゴハンの材料。



実家から、酒粕が送られて来たので、粕汁にして酒粕漬け(奈良漬け)、アミ(小さなエビみたいなもの)とともに食ス。

関東ではあまりみられない粕汁。
関西ではフツーの家庭料理。
この時期、心底からだがあったまります。

               §

夕方仕事を終えて渋谷まで散歩。
NEW ORDERの「CEREMONY ('81、K2は16才)」が入ったCDと
THE AUTOMATICのCDを買った。

NEW ORDER いわゆるリアルタイムだが、26年たって偉そうに「やっとみとめてあげる……」と思った音楽。

すごく、いい、100回聴こう。

RIGHTEOUS BROTHERS(らいちゃすブラザーズ)も欲しかったが、無かった……何故だろう……。
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  2007年1月23日(火)   ひふみ
終日事務所ニテ作業。

午、ちょっと銀行へ。
「建築家登録会費、構造計算費用、建築家賠償保険料、家賃、スクーターの駐車場代……」
などを振り込み、魂が抜けた感じに。

その足で郵便局へお年玉切手をもらいに、「おめでとうございます」と言われ、妙な気分。

               §

夜、新たにはじまるコンペのため資料に目を通す。
命名「国分寺の家」

頭の中に一つ課題が加わり、脳が賑やかになる。

               §

駅弁は好きだが、オムスビを持って新幹線に乗り込むことも好きだ。
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  2007年1月22日(月)   釜飯が食べたい
午前、出講、午後、設計。

会う人、会う人に
「お忙しいですか?」
と聞かれ、努めて
「フツゥーです……」
と答える。
               §

明日まで駅弁大会はやっている。
また食べたくなった。
どうしようか……。

※私信
建築家滝澤様
いただきました年賀状、3等当選いたしました……。
ありがとう。
今年も運を交歓しあいましょう!

※明日1/23(火)20:00〜 j-wave にて、上海取材をコーディネートしてくれたにむらじゅんこさんが出演されるようです。
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  2007年1月21日(日)   弁当マニア
午前、ボーッと書類にフィル・インなどしていると、悪寒。
アリナミンとカッコントウを飲んで、午後オゾンへ、「下総中山の家」設計確認のため。

無事、終了し、朝ラジオで「京王デパート駅弁大会」の話題をやっていたので、連れ合いと合流し向かう。

めくるめくワンダーランド。
僕は日本人が好きだ。
世界中で、こんなに“エキベン”に夢中になる人種はいないだろう。
文明ではなく、文化の熟成、大衆化の果て、その中にいる自分。

いかめし、いちご弁当、さば寿司、さつまあげなどを買い込み、恵比寿に戻り、大相撲をみながら食べる。
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  2007年1月20日(土)   採れたて新鮮、地場の180年もの古材
10:15、東部東上線「東松山駅」集合。
そこからさらに車に揺られて、とある場所へ。
「上尾の家」施主、工務店監督、棟梁、営業の人、そして建築家で古材を選定しに来た。

作業場の人いわく
「コレ、ちょいと先の民家の材料ね、こないだ解いたばかりね、つまり“採れたて新鮮、地場の180年もの古材ね!”」

なるほど、すごい。
まだ、180年分の煤と埃と誇りにまみれている、その存在感は十分すぎるほど伝わって来る。木の気とでも言おうか、樹齢で100年は生きて、その後構造材として180年役割を果たして、お疲れさまのフルムーン温泉旅行に行くヒマもなく、新たなる100年構造材としての使命を、指名が待っている。

圧倒されているヒマはなく、多くの中から選びだし、寸法を確認し、棟梁の顔色と施主、工務店の顔色をうかがいながら、選定し、末-元、背-腹を考慮しながら室内空間をイメージ(脳内モバイルOS使用)し、使う方向、向きなどを即断即決。

ナマもの相手、デスクワーク(机上業務)ではない、何か、LIVE感、GROOVE感……を感じる。

その後、寄居の作業場に寄り、棟梁と情報交換をし、上尾の現場に行き、割栗石の転圧状況を確認し、(この仕事、なかなかおもしろいな……)とつぶやきながら、夕方、恵比寿に戻る。
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  2007年1月19日(金)   かつら
終日出講。
午前1年生、午後2年生。

午後の夕方、一緒に卒業設計を受け持つ佐藤しげる氏が、たぶん心配なのだろうか顔を出してくれる。

学生とは、うらはらに、講師だけが熱い……。
学生は、その高い学費を親に払わせて、講師から何も引出そうとしない……。
怒る元気もなく、ただ、悲しい……。

せっかく来てくれたので、一杯やって帰る。

              §

写真、桂離宮の蘇鉄。
寒さから守るため藁を着せられているが、上部のカッパみたいな毛の生やかせ方が、なんというか、植木屋さんのパンチの効いたギャグがステキだ。

私信:鵠沼の家施主さんへ。
蘇鉄は元気ですか?、やっぱり寒さには弱いのでしょうか……桂でもこうなってるくらいですので、、、何か毛布でも巻いてあげた方がいいのかもしれません。
ああ、もちろん、上部はかわいく何か桂……いやカツラでものせてあげてください……。

春分には、また遊びに行きます……。
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  2007年1月18日(木)   stratum
終日事務所ニテ作業。

地盤改良が高く見積られて出てくる。
土の中、地層に思考をめぐらせる。
相手はナマもの、毎回同じ工法と値段では通用しない。

              §

日暮れ、新宿へ。
めずらしくozoneで展示のためのパーティー。
建築家の荒木毅氏や高野保光氏と久しぶりにお目にかかる。

そのまま荒木氏と思い出横町にて飲む。
「アラキさんはもっとこうした方がいい……」
とか、年上相手にさしでがましくよけいなお世話みたいなことを相変わらずペラペラしゃべるが、氏はフムフムと耳を傾ける。
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  2007年1月17日(水)   the sabbath 安息日
「阪神淡路大震災の起こった一九九五年一月、その正月に独立したばかりの私は東京にいて、ただテレビの前で泣くことしかできなかった。私は自分の一人のクライアントのために働くことを選んでしまい、自分の育った街、神戸の復興のために何もすることができなかった。」
『建築ツウへの道-p212.』大島健二(エクスナレッジ)

             §

あれから12年。

今日は安息日とする
暖房をつけずに過ごそう
昼ゴハンを抜こう
諸処の整理に努めよう
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  2007年1月17日(水)   神戸へのオマージュ料理1
パセリの効いた自家製ソーセージ
チンゲンサイのニンニク醤油炒め
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  2007年1月17日(水)   神戸へのオマージュ料理2
ジャガイモでなく皮付きメークインの焼いたもの
餃子を焼く要領で、とモロッコ生まれのフランス人に教えてもらった

とにかく、うまい
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  2007年1月17日(水)   神戸へのオマージュ料理
国産牛のスジ肉(118円/100g at 三越)を
赤葡萄酒やその他いろいろで煮込んだもの

美味

※お皿は神戸元町のEVIANコーヒー店のもの 稀有なり……
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  2007年1月16日(火)   high land , hard rain
「冬に向かって歩き出そう
ぼくはそうする 君は寒さで目覚めるだろう
高原の乾いた空気の中 
不思議に思うかも知れないけど 
冬に歩き出そう
 ぼくはそうする」

WALK OUT WINTER/ aztec camera

サンボ・マスターの山口君の汗臭い音を聞く度に、しかし、アズテックカメラを想起する。

甘酸っぱさと、汗臭さの紙一重な感じが、人の心をとらえる。

               §

朝から40枚の図面を4部、つまり160枚+地盤改良屋さん、構造設計屋さん用にコピー&郵送

エクスパックを使ったり、使わなかったり……

昼過ぎ、Xナレッジ社のM氏来所、いろいろお話する。

17:30 早めに切り上げ、料理研究。

新作二作つくってもらう(僕はディレクター……)。
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  2007年1月15日(月)   小正月……
朝から、出講。
一年生に謹賀新年し終わった後、例によって意識の中の週末がやってきて、それを終わらせるため昼寝をし、正式な週始めとする。

              §

「iA和風六法」や「マンガで学ぶ和のこよみ」が出版された後、どっと“和疲れ”が出た模様で、日本酒が水のように感じ、お酒としてのひっかかりが無く、クビにする。

通販で赤ワインを72本注文。

(本当は月6本じゃ、全然足りないのだが……20才の頃の夢は、ワインをガロン(樽)で買うことだった……今年中に、叶えよう……)

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  2007年1月14日(日)   浄瑠璃寺
朝から、図面を修正しつつプリントアウトする。
「工事会社用見積図面」のアップ。

夕方市川へ。「下総中山の家」最後の打ち合わせ。
じっくりと考えさせていただいて、じっくりと進捗してきたので、密度が濃い。

打合せ後、お酒とお料理をいただきながら、阿弥陀堂の話や、南大門の話や、マンガの話や、茅の輪の話をする。

5才の息子さんに「あっ、建築家散髪した」と言われたのが嬉しかった。

              §

一段落、&さらなる展開。
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  2007年1月13日(土)   時計仕掛けのカツレツ
未明、カツレツとかそういった食べ物の夢で目覚め、無音の14型ブラウン管テレビをつける。

漢詩紀行はやってなくて、槍が岳のサルとかウズラの映像を布団の中から眺める。

また眠たくなって、食べ物の夢をみながら、惰眠を貪る。

             §

終日事務所ニテ仕事。

風邪は治ったが、連れ合いが所持している体温計が転がっていたので、全ったき仕事中、体温を測ってみる。

“もちろん(当社比)”、風邪をひいている時に体温は測らない。

平時の体温、35.7℃……

こっれってどうなのだろうか…… 
中年男性としてはおそるべき低体温で仕事をしているということか……。
爬虫類か……

             §

夕方、ベランダの七輪でドンド焼きみたいなことをやろうと思ったが、連れ合いに風邪をうつしてしまったらしく、寝込んでいるのでやめにする。

しいたけ、サバ節、コブの出汁、ネギ、白菜、木耳を切り刻み、手羽元を吾郎太石の上で金づちをつかってちょっと骨折させて髄を出させ、海老と豚、にんにく、しょうがを入れてゴマをすっって入れた滋味溢れるスープに豆板醤と絹豆腐を入れて薬膳のような晩ゴハンとした。
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  2007年1月12日(金)   
午ゴハン、昨日とホボ同じ。
ミニ土鍋飯にエリンギを入れたが、さしたる香りはない。

             §

午後から出講。
2年生の卒業制作。
1ヵ月の冬休みの成果を……と思いきや、芳しくない。

             §

さて、今晩は何を食べようか?
かぐわしい、何かを、我欲ス。
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  2007年1月11日(木)   ミソスープ
終日事務所ニテ作業。

土台の仕口、継手、アンカーボルト位置など、基本設計時にできあがっている伏図、軸組図をもう一度点検する。

                 §

一件電話で「一級建築士を捜している」という住宅以外のビジネスの打診をいただいたが、丁重にお断りしてしまった。スミマセン。

夜も寝ずに働けばできるのだろうが、そしてそういう仕事をすればお金持ちになれるのだろうが、昼ゴハンはいつも恵比寿のオシャレ1000円ランチを食べることになるのだろうが、どうしてもできない……。

「やれやれ……」と村上春樹風につぶやきながら、コブ出汁で炊いたゴハンと「ネギ、タマネギ、ほうれん草、厚揚げのどんぶりいっぱいの具沢山みそ汁」をもって、午ゴハンとする。

              §

夜、YO氏来所。
某プロジェクトについての、相談?というか話し相手になる。

元気のいい若者と話をすることは好きだ。
元気のナイ若者と話をすることは、すごく嫌いだ。
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  2007年1月10日(水)   未踏
終日事務所ニテ作業。

1/5の矩計図2枚、床暖房の図面など作成。

              §

昨晩、夜更けまで布団に入って2月の旅行の計画を練る。
未踏の地、伊豆。

湘南でさえ、上京して14年足を踏み入れなかった偏屈もの。
伊豆は手強い。

まずは、等高線や路線や道路、海岸線を頭に入れる。
一度「勘」で旅程全体をイメージする。

(電車、温泉、バス、天城越え、山歩き、ボタン鍋で昼飯、滝巡り、バス、宿、海、温泉、金目鯛で晩飯、酒、温泉、酒、睡眠、朝日で目覚め、干物で朝飯、街歩き、温泉、飯、酒、踊子号……)

あとは「ウッカリズム」待ち……。

                §

創造を仕事にしているが、想像はもっと楽しい……。
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  2007年1月9日(火)   詫び錆び
終日事務所ニテ作業。

ゲラのチェック、工務店への見積依頼、図面調整などで日が暮れる。

              §

年末に出した年賀状が、1通だけ今日戻ってきた。
もう九日なのに……。

新宿オゾンのある担当者に送付したもの。
「担当部署が記入されていません」とか
「苦慮しています」とか
「特定できませんでした」
とかいうシールが貼られて、無惨な姿でもどってきた。

「リビングデザインセンター」とか「8階(本当は6階だったみたいだが)」とか記入しているのに、なんとも世知辛いな……と。

たぶん先方では
「あら、あなたに来てるのに、何で私に来てないのかしら?やだわオーシマさん、プリプリ……」ってきっとなっているに違いない……。

              §

先方にはおわびとして、年賀状に自著の漫画本を添えて送付させていただいた……。
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  2007年1月8日(月)   Uターン
朝からひたすら図面を描く。
(E17パルックボールD15型うずまきタイプ……とかそういった類いのことの整理)

脳と視神経と指先の筋肉だけを使う仕事……カラダが冷えていく。
逆に肉体労働でカラダを温めた方が風邪を蹴散らすには有効かもしれない、などとボーッと考えながら……。

              §

夜、来客有り。

フィンランドから大久保メグミさんが帰ってきているので、招く。
O編集長やぽむ企画の平塚さん、それに何故かアーティストの吉水浩氏とともに、飲食と楽器演奏。

ぽむさんからパティスリーアンジュのかわいらしいケーキをいただいたが、皆で食べるのを忘れてしまいました。ごめんなさい。
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  2007年1月7日(日)   人日の節供
どうやら邪気に入られ、風邪気味。

もうろうとしながら午から仕事。
ひたすら図面を描く。

              §

夜、七草を叩き刻んで邪気を祓う。
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  2007年1月6日(土)   寒くて冷たい雨。
午、「太東崎の別荘」打ち合わせ。

首尾よく運び、気に入っていただく。

「これ、CGですか?」と聞かれ
「いや、模型写真です。」
「じゃあ、色の補正とかコンピューターで?」
「してません、一発撮りです」

と、実際ベランダで、狭い空を捜し、そこに模型を斜に傾けて撮影するというこっけいな姿を再現してみせると、笑っていただいた。

「ローテクですわ、ははは」と照れ笑い。

僕の人生に写真の色調補正をする時間はあらかじめ用意されていない。

これで、一気に基本設計をまとめ、工務店捜し、概算見積りへと進む

               §

夜、二年前の卒業生がOCMを“会場”として新年会を開いた。

二年前は自閉症のようだった3人の男子もメーカー、リフォーム業者、イベント屋などの仕事につき、酔っ払い方も覚え、たくましくなっていた。

僕も25才までは自閉症のような生活を送っていたからな……。

富山出身の子に笹義のますのすしをいただいた。とっても美味。
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  2007年1月5日(金)   蒼い光
朝から模型をつくる。3時間で完成。

大平洋から昇る朝日をみるための小屋。

朝の空気は、こんな色、青味がかかっている。

明日、打ち合わせ、喜んでくれればいいが……。

            §

午後から、諸整理。
年末終わらせなかったことを、一つ一つ。
若干の焦燥感をもって。
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  2007年1月4日(木)   黄昏れコンシェルジュ
床拭き、洗濯、布団干し、コーヒー……
いつもの日常をはじめるための儀式。

設計脳に火をおこし、団扇であおぐ。

終日事務所ニテ作業。

夕方、ようやく腰が椅子にくっつきはじめたので、あえて、外に出て、夕陽をみにいく。

(日の入りは16:40くらいだな……)
中目黒1-1 別所坂公園

              §

新春K2コンセルジュ

ハセ蒲鉾
とにかくこの「鹿の瀬」という蒲鉾食べてみて下さい。
小田原の鈴廣がかすみます……。

新福菜館中華そば
京都はなんだか薄味で繊細で、細くて、腰がなくて……なんて思わされている江戸の人々にガツンッと一発真っ黒ラーメン。

もっこすラーメン二国など兵庫には強烈なラーメンが他にもアル)

藤沢駅前の名店街というビルの地下、古久屋ここの麺はうまい。テイクアウトしてうちで好きに味付けして食べるのがベスト。
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  2007年1月3日(水)   
昨夕より、連れ合いの実家である群馬の吉井町に滞在。

83才になるおばーちゃんが、昭和の初期に神戸で邦文タイピストというハイカラな仕事をしていたといったお話をうかがう。

当時から朝食はパンとコーヒーだったようだ。

              §

朝から近辺の田園を散歩。
田んぼの中に、シューズボックスくらいの大きさの石の祠をみつける。

おそらく「田の神」様かな……。

午、前橋に移動し義母側の親族一同を会した大新年会。
一部上場会社社長や、政治家、警察官など……みな様々な職業。

大いに飲み、食い、夕刻、湘南新宿ライングリーン車にて、恵比寿に戻る。
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  2007年1月2日(火)    鯛の子の煮付けは関東にあるのか?
年末に、浅草の旅館に挨拶にいったときにいただいた松前漬けをつくってみたり、そのネバネバ加減を確かめるため、毎日冷蔵庫をのぞいたり。

鯛の子、数の子、明太子、カラスミ……ふと、卵ばかり食べている……と苦笑い……。

腕木門や、挟み梁?肘木の庇を設計したり

             §

ニッポンの自由度の研究はつづく。

写真は大覚寺、ピンクの畳縁に腰付き障子の腰板にえがかれたウサギの絵。
確実に、女部屋だな……。
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  2007年1月1日(月)   平成十九年元旦
朝普通に目覚めてしまい、初夢スケッチや記述をするのを忘れた……。

コーヒーを入れて、洗濯をして、年賀状の返事を書キ終える。
そしてK2的“三社参り”に出かける。

基本は“乗り物に乗らないこと”
(籠とか人力車、馬力車、牛力車の類いはOKです)

・恵比寿神社
・氷川神社
・金王八幡宮

おまけ)写真の豊榮八幡宮
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  2007年1月1日(月)   縄文コンシャス
渋谷川にかかる庚申橋をわたり、国学院、実践女子大、青学初等部などといった地帯、古には目黒品川方面が一望できたであろう、縄文コンシャスな地形をたどって歩く、コレ神社歩きの基本。

最後の豊榮八幡宮にて
仕事で埼玉、千葉、神奈川、いろんなところを歩いているが「庚申、庚申塚、庚申講、庚申待、庚申塔」といったものによく出くわす。

庚申塔の凄さは、その混淆の様である(宗教的POP)。
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  2007年1月1日(月)   土地の文脈を読む……って建築家はよく言うが本当に……?
庚申という考え方自体は道教(中国)からのもの。青面金剛像(仏教)は帝釈天(ヒンドゥー)だったり、猿田彦(神道)だったりすることもある。その青面金剛に踏まれているのは天の邪鬼(?)、その下に三猿、三猿は天台宗の教えとして中国から伝わったもの。たまたま日本語に訳すと「みザル、言わザル……」とかなってしまったので、急に猿が登場して、猿田彦まで引っ張り出されて、庚申も猿だから引っ張り出されているわけです。

結論。

「正月にカレーを食べても、問題ない……」

しかしその時は仏教の護法神である帝釈天や梵天さま(both from India)のことを考えて食べましょう。仏教がその出自からして神様に守られていたということ、ニッポンの「助けて、神様、仏様」という考え方、あながち間違ってはいません。
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