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2009年8月

  2009年8月31日(月)   
朝から「蓮根の家」現場へ、基礎の配筋検査。

濡れ鼠でカラダが冷えたので、板橋駅前の「五味香(ウーミーシャン)」でタンメン(¥630)を食べ、暖まる。

               §

夕方、鶏ガラスープをつくろうと、鶏ガラを求めてスーパーマーケットへ行くが、ピーコックにも松坂屋にもなし。ガーデンプレースに行く気力はなく、手羽先と手羽中を買い、ルクルーゼでグツグツとやる。

写真:「鶴ヶ島の家&crane studio(2009)」コンサバトリーから居間を。
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  2009年8月30日(日)   
午、西麻布まで歩き、ori higashiyaにて手みやげをみつくろう。

             §

午後「鶴ヶ島の家&crane studio(2009)」へ。
竣工して4ヶ月、ようやく広大な庭の工事が完成したというので、検分を兼ね、遊ぶ。

写真は“アーバー”の下から“コンサバトリー”と新設された“ポティングシェド”をみやるの図……。

楽しい話と、おいしい食事とお酒、そしてスタジオでインプロビゼーション・セッション……
そして、勝手にシャワーを浴び、夜が更ける……。
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  2009年8月29日(土)   
もう、稲穂はコウベを垂れ、黄金色に輝いている。
JR御殿場線「相模金子」駅前の風景。

              §

朝、プールで沐浴。

午後、事務所にて作業。

夜、ぽむ企画のヒラツカさん来所。
恵比寿のma2galleryにてロケチリさんって人がライブをやるので観に行く。

そのあと、大樽で休憩し中目黒のhappahotelへ。

串八で休憩し、夜が更ける。


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  2009年8月28日(金)   
瓦を葺き終え、晴れ渡る空に、甍の波を起す「大井松田の家」の図。
民家シリーズの「上尾の家(2007)」「下総中山の家(2007)」「大井松田の家」……、実は建て主はみな“30代”なのである。

都内では難しい建て方だが、郊外においては、ちゃんとしたニッポンの家をつくろうとする若い人々が増えている。

               §

午後、「大井松田の家」現場へ。
東海道線の車中、泉鏡花の「草迷宮」を読みながら、文字通り迷宮の中に微睡む……。

帰り、もう箱根湯本には行かず、真鶴にも行かず、夕暮れの国府津周辺を徘徊する。

17時だ……以前工務店の人に「うまいっすよ」と教えてもらったオロチョンラーメンをたまたま見つけたので入る。

満腹と大汗でフラフラしながら帰京……。
日が暮れる。
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  2009年8月27日(木)   
朝から、サッシ図、プレカット図などのチェック。

午後「国分寺の家」現場へ。
内壁の石膏ボードがほぼ貼られ、空間があらわれ、「視線の行き交い」を実感することができた。

               §

夜、「鵠沼の家(2005)」建て主来所。eos系写真部会合という大義名分。
写真の話は1%で、最後には「早川にイカ釣りにいこう」という話になった。

白ワインを3本空け、夜が更ける。
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  2009年8月26日(水)   
昨晩のゲームの続き。

(シャワーの先っぽ撮ってもしょうがないだろう……)
と「蜂須夜雨」を、ギターがずらっと並んだ姿の弦を雨にみたて「撥弦夜雨」に。
「OO秋月」は、四分一円弧をもつ畳の間を「四分一秋月」とする。

問題は「OO暮雪」だ……果たしてm家の中、外に暮雪したる風景を見いだせるか……見立てられるか……。

               §

日が暮れるまで、終日事務所にて作業。

夜、きんぴらごぼうをつくる。
夜が更ける。
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  2009年8月25日(火)   
「瀟湘八景ー詩歌と絵画にみる日本化の様相」堀川貴司(臨川書店)が手元に届く。
ゲームのように「鶴ヶ島八景」を創作せんと挑む。

蜂須夜雨
OO秋月
電蓄晩鐘
揚幕帰帆
曲壁晴嵐
混凝夕照
OO暮雪
矢鱈窓落雁

OO部分が欠けている……今晩の宿題だ……。
※「はちす」と入力してみてください、「蓮」と出ます。蓮の花托がシャワーのみたて……夜遅く帰ってきてシャワーを浴びるといった叙情的な風景を……といった遊び……

               §

終日事務所にて作業。
特殊意匠ドアの設計や、承認図のチェック等。

               §

夜、2ヶ月遅れの誕生日を祝ってもらう。
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  2009年8月24日(月)   
「それでも、それらの問題は夢のなかでも厳密な幾何学の規則に従うことを止めないのであった。ひょっとしたら幾何学の規則というものは残酷な幻影を二次元の平面に投影するためにのみ存在するのかもしれない。」
『薔薇の葬儀』マンディアルグ(白水社)

               §

日がな一日幾何学とたわむれる仕事。
人々のあいまいな生活習慣や、あいまいな欲望を、言の葉を介しながら、いきがよく暴れるそれを二次元・三次元の幾何学にねじふせる仕事。

せいぜい“伊勢エビの活き造り”程度にまとめあげられたら、成功、といったところか……。

               §

終日事務所にて作業。
メールやFAXで来る指令を、新鮮なうちに次から次へとさばいていく。
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  2009年8月23日(日)   
「水泳の一は水になれることで、子供達の一番の楽しみは“沈め合戦”という水遊びで、水を飲み息も絶えだえの苦しさを味わいながら泳ぎを習うというのは、一見ずいぶん乱暴なようではあるが、これがもっとも自然だともいえるのではなかろうか」ー両国水練場の図ー
『目でみる江戸・明治百科ー明治時代四季の行楽と博覧会の巻』(国書刊行会)

六時に起き、作業。
早々に終え、九時にはプールで水浴。

午ねをした後、夕方、青山、表参道あたりをそぞろ歩き、渋谷の多古菊にたどりつく。
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  2009年8月22日(土)   
朝から、森の中を抜け、半島を先っぽまで歩き、ざぶんと潮に身を浴する。
軽い浅漬け状態となりたる身をバスにのせ、湯河原へ向かわせる。

午後、不動の滝あたりで適当にバスを降り、そばを食べ、温泉に足だけ浸し、周辺を彷徨い、東海道線の乗客となり、帰京する。

終わらない夏

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  2009年8月21日(金)   
午から、東海道線に乗り、西へ。
国府津の浜で駅弁を食べ、御殿場線に乗り、「大井松田の家」現場へ。
瓦葺きの最終段階。

建て主さんご家族がおみえになられていたので、日々メールでやりとりしていることを、現場にて検証し、反映させる。

               §

そそくさと現場を後にし、真鶴へ向かう。
写真のような眺望を持ちたる、こじんまりとした民宿のような旅館「峰」に宿をとる。
コンパスで測定すると、この風景はちょうど真北、つまり小田原から江ノ島方向を望んでいると知るに足る。

伊勢エビを食べ、夜が更ける……。
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  2009年8月20日(木)   
午前、冷房をつけずに事務所にて作業。
現場説明用の手摺のディテール模型をつくったり。

               §

午後「国分寺の家」現場へ。
工事は順調、監督さんの機嫌も良い。

終了後、新宿で「つるかめ食堂」と「BELG」をのぞくが、いずれも混んでいたので、そのまま恵比寿に戻る。

昨今、いよいよプロ野球のナイター中継がなくなってしまったので、つまらない。
先日食堂のスポーツ新聞で阪神タイガースに3割バッターが一人もいないことを知り、ショックを受ける。
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  2009年8月19日(水)   
「江戸民家 慶長以前、皆草葺なり。同六年、駿河町より出火、江戸全く焼亡す。これ草葺なるをもつてなりと、官よりこれを禁じて、以後板葺とす。」  『近世風俗志(一)』(岩波文庫)

慶長6年、つまり1590年。
しかし、その後も草葺がなくなったわけではなかった。

               §

終日、冷房をつけずに、事務所にて作業。
夜、チジミを焼いてもらい、食す。
夜が更ける。
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  2009年8月18日(火)   
七沢温泉付近の民家にて、これまでにみたことのない精霊馬(しょうりょううま)を発見。
よく関東でみかけるのが「きゅうりの馬となすの牛」、これはたぶん「まこも」か何かでつくった馬。

アプローチがあって、そして方形(方墳)の祭壇?拝殿のようなものがあって、馬が赤と青の縞の布をまとっており、まことに興味深い。

手前にお皿がひっくりかえっているのは、たぶん「刻んだなす、きゅうりと米」がのせられていたが、鳥か何かに食い散らかされてしまった後ではないか……。

千葉あたりではまこもでつくった盆船というものもあるらしい。

               §

夕方「蓮根の家」現場。根切りが終わり、杭柱頭と埋設配管の確認。
終了後、「新板橋」駅前の古本屋「板橋書店」にて2冊の本を購入。

『目でみる江戸・明治百科ー明治時代四季の行楽と博覧会の巻』(国書刊行会)
『近世風俗史(一)』(岩波文庫)

それらをながめながら晩酌……夜が更ける。
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  2009年8月17日(月)   
各所からのメールに返答するだけで、半日が過ぎる。
設計を少々し、終日事務所。

近江八景に関する本を、ネットで注文。
瀟湘八景との関連性について、もしくはニッポン人の風景観について研究するため。

                §

少々時空がゆがんでいるK2日記……写真は明日(?・笑)の朝めし。
とまと・きゅうり・きざみこんぶ・ごぼう・ごま・とうがらし・たまご・にんじん・ねぎ・かしわ・わかめ・あぶらげ・こめ……13品目
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  2009年8月16日(日)   
「利休居士が、露地は深山幽谷の景がよいと主張されて以来、主として山野のものを用います。自然の山などに自生しているものを好みます。そして、茶席の床に種々な花を生けます関係で、花の類をなるべく用いぬ方がよいとされていますし、また、茶席の中で香をたきます関係から、香りの強い草木を嫌います。」
『茶室と庭』重森三玲(教養文庫)

               §

「暮らし」とは不思議なコトバだ。
「日々の暮らし」と「日が暮れる」と使った場合、なんだか意味がよく解らなくなる。

ヒグラシは「日を暮れさせる」、ならば「日々の暮らし」LIFEも、毎日毎日「日が暮れるまでの生活のしかた」という事か……。
どうやって日暮れを迎えるかということか……。

ヒグラシが「日を暮れさせる」、ならば「うろこ雲」は、夏を暮れさせるか……。

風はすゞやかだが、日差しは強く、しかし空にはうろこ雲が……。
午、vespaでレインボーブリッジを渡り、ガンダムを避け、勝鬨橋を渡り、銀座まで駈ける。
銀座の野の花 司の前を通りかかり、露地庭のことについて再考する。

日が暮れる。

夜は、近江に想いをはせ、夜が更ける。
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  2009年8月15日(土)   
朝、おむすびをつくり、かばんにつめ、新宿から小田急に乗る。
「鶴川駅」で降り、武相荘へ。

コメダ珈琲店で、休憩して、また小田急に乗り「本厚木」駅へ。

七沢温泉行きのバスを待つ間、近くの誰もいない公園で鳩と遊びながらおむすびを食べる。

バスを降り、しばらく歩いて「福松」へ。湯につかり、ビールを一本飲んで、またバス−小田急。

町田の小陽生煎饅頭屋にて“焼小龍包”を食べ、タイ料理を食べ、夜が更ける……。
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  2009年8月14日(金)   
事務所にて、メールのやりとりなど。

夕方、ベースギターの弦を買いに新宿へ。
おまけに“ブリッジガード”などよけいなものも買ってしまう。

つるかめ食堂で休憩しようとするが、休み。
歌舞伎町をぬけ、韓流色と食が、いっそう勢いを増している新大久保あたりをさまよい、回転寿しを食べ帰宅。

               §

夜は、ローズウッドの指盤にワトコオイルを塗ったり、弦を張り替えたりして、世話になったベースギターのメンテナンスにいそしむ。

夜が更ける。
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  2009年8月13日(木)   
冷房をつけずに、発汗しながら、作業。
たまった現場監理写真の整理など。

               §

夕方から、新宿のライブハウスへ。
リハーサル、本番……。

構想1年以上、「スタジオを設計するためにバンドと楽曲をつくってライブまでやってしまう」という設計魂あふれる建築家を、十分に演じきることができた。

写真:「鶴ヶ島の家&crane studio」の建て主さん撮影。
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  2009年8月12日(水)   
柴又の「寅さん像を」みて外国人がこう言った。
「あっ、バックパッカーだ……」
なぜ、と問うと
「だって、サンダルを履いているじゃないか」と。

山から降りると、ゴム草履にはきかえ、トレッカーからバックパッカースタイルへ。
むくんだ足を冷やしたり、温泉への出入りを容易にする。

               §

終日事務所にて、諸般の整理につとめる。
最終的には、“冷蔵庫の霜取り”にまで至る。
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  2009年8月11日(火)   
午まえ、「国分寺の家」現場へ。
建て主奥さんもいらっしゃって、収納などの打合せ。

竣工まで一ヶ月半以上あるが、外壁がサイディングなので、足場が“ばれる”のが早い。
コスト削減、工期短縮、防火制限クリアにサイディングは適している。

               §

夕方、楽隊の練習で渋谷へ。
明後日の演奏会を前にして、最後の練習。
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  2009年8月10日(月)   
「そういう貧しげな宿屋を見ると私はむやみに泊まりたくなる。そして侘びしい気持ちでセンベイ蒲団に細々とくるまっていると、自分がいかにも零落して、世の中から見捨てられたような心持ちになり、なんともいえぬ安らぎを覚える。」
『貧困旅行記』つげ義春(晶文社)

               §

激しい筋肉痛と闘いながら仕事をするが、徐々に煩悩が増し、脳が弛緩し、盆休化をはじめる。

「国分寺の家」 現場の盆休み12日〜16日
「大井松田の家」現場の盆休み13日〜16日
「蓮根の家」  現場の盆休み12日〜16日
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  2009年8月9日(日)   
昨日、山中で、ミツバチの大群に襲われ、連れ合いが「6発」刺された。
なぜか僕は刺されなかったが、そのヒッチコックの映画のような様をみていて、恐怖のあまり、足ががたがた震えた。

               §

午過ぎ、日の出桟橋からに乗り、隅田川を遡上、浅草へ。
船上で、チーカマとビール。
浅草の「福ちゃん」で輪ゴムのような焼きそばとビール。
「花家」で焼きそばとビール。
上野の「たこ八」で明石焼とビール。

山歩きで、ピュアになったココロとカラダを、“ビールラリー”によって、徐々に都会仕様にもどしていく……。

日が暮れる。
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  2009年8月8日(土)   
7:44新宿、「ホリデー快速おくたま」に乗り、「御嶽」で乗り換え「鳩の巣」駅へ。
9:30、入山「川苔山(1363m)」を目指す。

森の中をひたすら歩く……もやがかかったヒノキ林は、さしずめ東山魁夷の世界そのもの。

12:45、登頂。
山頂にてラーメンをつくって食べ、13:15、「百尋の滝」方面へ出発。

16:30「川乗橋バス停」に到着。
バスに2分間に合わず、すると駐車場にいたおじさんが電話してくれて、知らないおじさんがやってきて、「奥多摩」駅までのっけてくれた。

たまたま街では祭りをやっており、なんだかめでたい雰囲気。

「もえぎの湯」で温泉につかり、ビールを呑み、日が暮れる。
帰り、立川で一杯やって、夜が更ける。
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  2009年8月7日(金)   
朝、七時前に起き、作業。

午後、西湘方面へ向かう。
国府津の海の様子をみて、「大井松田の家」へ。

瓦工事がはじまった。
細部に指示を出し、現場を後に。

               §

4週連続「箱根湯本」の温泉へ。
今日は、いつもと違うところ、駅から3分の、少しうらぶれた感じの「かっぱ天国」へ。

フツーのおばちゃんが、バックパッカーのフランス人に対応しているのが興味深かった。
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  2009年8月6日(木)   
古墳のことを言っている。

「蓬莱山(須弥山)などという思想が入る以前に、私たちの祖先は、死者のための極楽を創造していたのである。仏教が盛んになって、大きな墓作りは廃れたが、それは別な形をとって、生れ変わって行き、石庭に至って完成した。形は変わっても、底を流れるものは同じ『彼岸』の思想である。」
『かくれ里』ー石の寺ー 白州正子(講談社文芸文庫)

              §

僕にとって、文章は、ものすごく情報量が多い。この一つの文章から……

1)今度、近江あたりに遊ぼうと思っているので、その情報
2)先日、絶景、風景、彼岸、極楽、須弥山、山岳信仰、アニミズム……といった文章を書いたので、その事後確認
3)純粋に、先達の文章から学ぶ事……(白州正子……句読点……多いな……)とか。

              §

午後「蓮根の家」現場へ。暑い、大汗が吹き出る。
杭工事を検分(いや見聞かもしれない……)する。

大地に、17尺ばかりの鉄筋コンクリート三角杭をセメントミルクをまぜながら打込む。
デザイナーと名のつく職種の中で、「大地に杭を打つ」類いの職種であることに誇りを持っている。
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  2009年8月5日(水)   
「いや、それよりも、明恵が無意識で憎からず思っているらしい人形が、やがて生身の女に一変してしまうというところが、いかにもピグマリオニズムの発露を思わせて興味津々ではないか。」
『玩物草紙』ー夢ー 澁澤龍彦(朝日文庫)

               §

建て主さんからの指示書を解読しながら、棚や納戸の内部の追加設計。

蒸し蒸しする夕方、プールに行くかわりに、風呂の掃除をする。
夜、「三橋屋」で、また店の人にすすめられたので、“マグロの中落ち”を食べる。
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  2009年8月4日(火)   
朝めしに、ごはん、みそ汁、あじの干物。
終日事務所にて作業、半露天風呂の図面を仕上げ、郵送。

「下総中山の家」の風呂は「2面開放」
「大井松田の家」の風呂は「3面開放」

もちろん最終的には「4面開放」の風呂小屋の設計をやりたい。

               §

夕方、電話有り。
「今、竹芝桟橋にいます。小笠原の父島で結婚式を挙げて、25時間船にのって帰ってきました。姫路行きの夜行バスまで時間があるので、OCMに行っていいですか?」

と、若い新婚カップルが来所。

               §

夜、新たに結成された「白ペン友」(正式名称“白い”オリンパスpen友の会)」初会合のため新宿へ。
3名で、写真談義に花を咲かし、夜が更ける。
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  2009年8月3日(月)   
終日現場からあがって来た施工図にチェックを入れ、夕方には郵パックでバック。

そのままプールで沐浴。

夜、餃子を食べる。
毎月3日を「餃子の日」と定めようと図るが、たぶん来月には忘れているだろう。
それはそれで、いい。
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  2009年8月2日(日)   
6時半に起き、9時からの「蓮根の家」地鎮祭へ。

神主さんによっては、祝詞奏上以外何もしゃべらない方もいらっしゃるが、今回の神主さんは式の由緒などを丁寧にご説明され、かつ式自体は通常よりも簡素化されていた。

降神、昇神のときのウォ〜〜〜〜という声もなく、神籬(ひもろぎ)も小さな祠とかでなく大きな榊そのものであったり、かなり原理的で興味深かった。

以上、地鎮祭評論家のレポートでした。

               §

夕方、代々木上原のギャラリーへ。
連れ合いと落ち合い下北沢で飲む。
夜が更ける。
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  2009年8月1日(土)   
「photograph 」を日本人は、“写真=真実を写す”と訳してしまった。
相当真実に飢えていたのだろうよ……きっと……。
本来、photographとは「光で描く」の意だ。

気の利いた日本人がいれば、光画、陰画、景画とでも訳しただろう。

               §

“風景”というコトバがある。「景」は、つまるところ影……、つまり日本人は「風の影」を愛でてやまない人種なのだ……。

               §

午、人を送った後、原宿から恵比寿まで歩く。
街角の鏡に映る自分の顔が、現場焼けで真っ黒だ……やばいな……影じゃねええか……風の中に消え、風景と化すか……。
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