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2009年11月

  2009年11月30日(月)   
『神保町対決マップ』に気をよくして、『恵比寿対決マップ』の製作にとりかかる。
締め切りもなく、スポンサーもなく、協力者もないが、なぜか「やらねばならぬ使命感」を感じている。

               §

終日事務所にて作業。
もうすぐ、大好きな年末年始がやってくる。
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  2009年11月29日(日)   
歩く。
目黒川、次いで北沢川緑道を遡上し、環七を伝い、高円寺へ。
2時間15分。江戸時代なら「へい、ちょっとそこまで……」だと感じる。

FCでない直営店の「天下一品」が食べたかったので、歩いたのだ。

               §

事務所のベランダから下をみていると、特に中国人の観光客が何か写真を撮っているのに、気づく。何かというと、この自動販売機だった。

「山下」というのは、ここが昔は山下町だったことを示している。たぶん“山”とはガーデンプレースのある「かけづか」「かげつか」のことだったと思う。

100回言うが、地名は変えてはいけません。
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  2009年11月28日(土)   
午まえ「赤坂離宮(1909)」へ。
門の前では二千人くらいが行列をなしていたが、30分くらいで入れた。

入口で検問、僕のところで金属探知機がけたたましく鳴る。どうやらドクターマチンの安全靴に反応したようだ。「靴に鉄が入っているのだ」と説明し、了解を得る。

カメラ(40D)の調子が悪く、そのことに気がとられてしまう。

               §

終了後、ニューオータニの庭園や、旧李王家、プリンスホテルとそぞろ歩き、赤坂の河鹿でカツカレーを食べ、TBSのスケートリンクをひやかし、六本木ミッドタウンまで歩き、帰途につく。
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  2009年11月27日(金)   
午まえ、「蓮根の家」現場へ。
竣工2ヶ月前だが、そろそろ足場がとれるので、屋根周りの最終点検。

終了後、中山道を日本橋の方へ適当に歩く。
(志村坂上って、本当に坂の上なんだ……)などとつぶやきながら、小豆沢(あずさわ……って読めるようになったのは10年前)通りを歩く。

なんだか、高輪の台地に似た良好な雰囲気、ちょっと嫉妬する。
言い方を変えればものすごく「関西人度の低い街」、たぶん、一生知らなければ知らないですむ地域。

twitterと内容が少しかぶってきたので、日記へのモチベーションが少し落ちる。
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  2009年11月26日(木)   
夕方、ポートフォリオ完成し、某所へ送付。
30件近くある住宅の中から、数件を選び、100枚以上の写真を選び、キャッチコピーを考え、編集しなおす……。

自分を編集する、というものすごく難しい作業。

               §

天皇陛下御在位20年記念迎賓館赤坂離宮前庭公開といったニュースを、twitterで知る。

行こう。
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  2009年11月25日(水)   
午後、雨があがったので、目黒のアイアングレイさんへVESPAで。
製作を依頼していた「大井松田の家(2009)」の“知恵の輪型物干金物”ができたので、ひきとりに。

既製品の物干金物を使おうとすると「何でうちにはアレ(知恵の輪型物干金物)つけてくんないんですか!」と建て主さんにうれしいことを言われたので、竣工から少々遅れてしまった。

事務所にもどって、梱包し、工務店に送付。
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  2009年11月24日(火)   
終日事務所にて作業。


「大井松田の家(2009)」の「SUS水切り板」
キッチンエキスパート和田浩一氏のデザイン。図面をいただき、そのまま製作。著作権使用料を払わねば、、、、。

CERAのソープディスペンサー
GROHEの水栓
KAWAJUNのハンガーポール
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  2009年11月23日(月)   
午後、東神奈川のスケートリンクへ。
一回こけて、腕をしたたか強打。
終了後、子安、生麦、花月園と歩き、鶴見で韓国料理を食べる。
日が暮れる。



「大井松田の家(2009)」浴室
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  2009年11月22日(日)   
午後、連れ合いと、ヒラツカさんとで、原宿へ。
ナイキーvacantーtoyo kitchenー根津美術館ーfinland cafe





「大井松田の家(2009)」洗面所から浴室
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  2009年11月21日(土)   
「大井松田の家」(神奈川県足柄上郡)竣工しました。
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  2009年11月21日(土)   
風呂小屋前の、縁側にて。

おじいちゃんと、孫たち。
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  2009年11月21日(土)   
民家シリーズ第三弾。


いろんなところで『神保町対決マップ』の反応があらわれはじめました。  うれしい。
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  2009年11月20日(金)   
「散歩の達人」12月号(交通新聞社 )“銀座特集”がでました。
34ページに「ぴかぴかブランドビル観賞術」というタイトルで文章と写真を載っけてます。

写真は、OLYMPUS PEN E-P1の「ポップアート」モードで撮ってます。

銀座に、ギンギンと、新しいブランドビルが、出現……一体何が起こっているのか!ど、どうする建築ツウ!!!
建築ツウにはめずらしく、新しい建築を、好き勝手に、斬ってます。

               §

「蓮根の家」現場。万事、順調。
写真の天井にあるのは蛍光灯ではなく「電動物干ユニット」。

住宅は生活だ、あたりまえだのクラッカー、その手は桑名の焼き蛤。
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  2009年11月19日(木)   
「 東京アート散歩?」(交通新聞社 散歩の達人ムック)が出ました。

「建築ツウが見る東京のミュージアム」というコラムを書いています。
建築家を4つの世代に分け、それぞれの世代の代表選手の代表ミュージアムを斬っています!

               §

twitterというものをはじめた。
少しだけ現在がみえた。
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  2009年11月17日(火)   
“四十肩事件”、整体に行ったあとはすこぶる調子が良い。

血管を収縮させるというので、毎日たった一杯のコーヒーを、家で飲むのをやめた。もちろんコーヒーのせいではないことはわかっているが、逆に外でコーヒーを飲む楽しみができた。

               §

終日事務所にて作業。下記のような整理作業。昨年はよく働いた。
10年間で雑誌等に書き散らかした文章を束ねて、一冊の本にしようと画策……から、実務に入った。
「OCM10周年記念事業」、記念事業団の設立、予算は? ない(笑)。

■「日経アーキテクチュア」(日経BP社)2007年4月9日号〜2008年12月8日号
  連載コラム「ココロニシミル巨匠の名言」 600文字×全21回=12,600文字
  ※見開きで、宮沢氏のイラスト入りで、全42ページ分
@ 2007年4月9日号/ルイス・カーン
「私の言葉を用いるような人は、たいした仕事はしていない」
A 2007年5月14日号/レム・クールハース
「エレベーターは、私たちが何かを構成しようとする本能をあざ笑う」
B 2007年6月11日号/F・L・ライト
「優秀なビジネスマンの目には(私は)良い仕事の相手と映らない」
C 2007年7月9日号/村野藤吾
「極端に言えば技術がなくても建築設計ができるのが理想」
D 2007年8月13日号/礒崎新
「これは僕のプリンシプルですが、(僕は)土地も持ってないし家もない」
E 2007年9月10日号/フィリップ・ジョンソン
「なぜ良き都市に住めないのか?それはわれわれが望まないから」
F 2007年10月8日号」/前川國男
「建築というものは、出来てみないとわからない」
G 2007年11月12日号/ミース・F・R
「それを教えるわけにはいかない、自分で30冊を探さなければいけない」
H 2008年12月10日号/丹下健三
「美が建築空間の機能を人間に伝える『美しきもののみ機能的である』」
I 2008年1月14日号/伊東豊雄
「社会はわれわれの想像しているよりもドライにラディカルに動いている」
J 2008年2月11日号/伊東忠太
「家人が家を愛し清掃することが何よりも緊要」
K 2008年3月10日号/隈研吾
「空間に対するこだわりは、階級に対する欲望から生まれる」
L 2008年4月14日号/アントニオ・レーモンド
「木は本当の建築家の使うべきもの、木を使ってこそ本当の職人」
M 2008年5月12日号/レンゾ・ピアノ
「情報が増え続ける状況は麻薬中毒のようなもの」
N 2008年6月9日号/アルヴァ・アアルト
「私の遺言は、集産主義から個人主義を生み出すこと」
O 2008年7月14日号/吉田五十八
「建築は理屈じゃないんだ、勘ですよ」
P 2008年8月11日号/吉阪隆正「仕事に恋した時にはじめて、世を動かしてゆくような仕事ができる」
Q 2008年9月8日号/オスカー・ニーマイヤー
「建築家は批評に惑わされず、好みに従ってデザインすべきです」
R 2008年10月13日号/宮脇檀
「死ぬ前に一人ぐらい殺して死にたい。それが、我々にできる唯一の抵抗」
S 2008年11月10日号/清家清
「いまでは三十坪以下の住宅で、生活は十分まにあっている」
21 )2008年12月8日号/石山修武
「建築家に未来は『ない』。前向きに解体されて強くなっていく」

■ 「芸術新潮」連載コラム  680文字×3=2040文字
※巨匠の名言と同扱いで見開き  全6ページ分
@ 2008年12月号「神戸の教会カフェ−フロインドリーブ−」W・M・ヴォーリズの建築
A 2009年3月号「透明な建築家−旧山田守自邸」山田守の建築
B 2009年6月号「ライトで一杯−自由学園明日館」フランク・ロイド・ライトの建築

■「散歩の達人」(交通新聞社)2008年4月号〜2009年4月号、2009年12月号
連載コラム「建築ツウの散歩術」  2040文字×全14回=28,560文字
※2000文字見開きで28ページ分 もしくは4ページで写真等入れて56ページ分
@2008年4月号「鶴見のセメント住宅」
A2008年5月号「赤線“ムディニズム建築”」
B2008年6月号「日暮里〜舎人“公園ライナー”に乗って」
C2008年7月号「愛宕山登頂三往復」
D2008年8月号「観音崎砲台跡へ詣でる」
E2008年9月号「上野公園で名作建築対決!」
F2008年10月号「ふらっと一人で羽田空港」
G2008年11月号「美しき“世界の築地”」
H2008年12月号「コクーンタワーの繭の中で」
I2009年1月号「知られざる高尾サンクチュアリ」
J2009年2月号「中華街の店舗建築を読み解く」
K2009年3月号「神保町界隈に見る建築パワーゲーム」
L2009年4月号「東京スカイツリー」
M2009年12月号「新“銀座建築”」
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  2009年11月16日(月)   
午、品川駅で「常盤軒」のそばを食べ、東海道線に乗り、西へ。
「大井松田の家」建築基準法上の完了検査に立ち会う。

一時間に一本しか電車のない現場、念のため一時間以上前に到着しておいたが、案の定、検査員も一時間前に来られた。  一発合格。

その後、やっと、設計者の検査。

              §

ピアノ室の床鳴りのため張り替えが必要だったり(直張りなのに)、シンクの深さが間違っているので二間ものシンクの再製作が必要だったり、縁なし畳の張りがあまいので再調整が必要だったり、建て主さんの頭の中に“?・ハテナ”が舞っていることを、ひしひしと感じ、恐縮する。
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  2009年11月15日(日)   
建築ツウ好み銀座建築「日本橋高島屋の屋上」「シネパトス」
についで挙げられるのが、
「東京交通会館」の回転展望レストラン「銀座スカイラウンジ」

              §
vespaで銀座へ。

国際フォーラムの大江戸骨董市をのぞいたあと、K2と同い年でもまだ回転しつづける、「銀座スカイラウンジ」にて、その労をねぎらい、日本中の回転展望台に想いを馳せる。

入ると、蝶ネクタイを締めたボーイさんに、「こちらが進行方向でございます。80分で一回転いたします。」と、誇らしげにテーブルに案内される。

(回転展望台で、回転寿しをやるとどうなるだろう……)などとつまらないことを考えながら、ウィンナー珈琲を飲み干す頃、日が暮れる。

いつものような“犬の川端歩き”はせずに、ヘッドライトをつけ、恵比寿に戻る。
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  2009年11月14日(土)   
午後「大井松田の家」へ。
引渡一週間前だが、まだ完成はしていない。
が、子供達はもう家の中を走り回っている。その様そのものは、何というのか、空間の核ではなく、素粒子の運動のように感じられる。

終了後、建て主さんご家族と会食。
ありがたく「こだま」に乗らせていただいて、帰京する。

帰宅後、連れ合いが「小さな恋のメロディー」のDVDを買ってきていたので、観る。
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  2009年11月13日(金)   
午まえ、「蓮根の家」現場へ。
埼京線で「板橋駅」まで行き都営三田線に乗り換えるはずが、高崎線直通に乗ってしまい、「板橋駅」に止まらず「赤羽駅」まで行ってしまう。「赤羽駅」で埼京線に乗り換え、戻るのはいやなので「浮間舟渡駅」まで行き、そこから歩く。 5分遅刻。

               §

内部のゆるやかな曲面の天井があらわれてきた。
左(南)からの陽光を、右(北)の壁に反射させ、和らげ、下階を、もやっと明るくするためのカタチ。その“もやっと”を確実にするために、入り隅をなくし、曲面にする。

               §

使用済み「いりこ」と「大根の皮」とこんにゃくでキンピラをつくったら、美味だった。   ゴミが減る。

この二三日、ブロッコリーが異常に安い。
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  2009年11月12日(木)   
『神保町対決マップ』建築ツウ×ぽむ企画(発行:南洋堂書店)が完成しました!

無料で配布しています。神保町の南洋堂書店に行って「あの〜建築ツウの、あの、ジンボウチョウのマップ……下さいな」とおっしゃってくださいな。

               §

『神保町対決マップ』での戦略
☆唐突な「対決」という形式で、なごませる
☆唐突な「対話形式」とし、なごませる
☆唐突な関西弁で、人心を惑わす
☆唐突な「関連図書」にはオヤジギャグ的要素ももたせ、なごませる
☆唐突な覆面レスラー「グレート・ジンボー君」というキャラを登場させ、なごませる
☆「建築ツウ」と「ぽむ企画」の対決でもある
☆“散歩のたつじん”としての成果品
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  2009年11月11日(水)   
午後、天元整体院にて四十肩の治療を受ける。

夜、音楽隊の発表会。20名弱のお客さんに来ていただく。
「鵠沼の家(2005) 」「鶴ヶ島の家(2009)」の建て主さんもおみえになったので、交流を深めていただく。
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  2009年11月10日(火)   
毎日、毎日「いりこ(煮干し)」でだしをとるが、とったあとのいりこがもったいなくて捨てられない。

ので、切り刻んで、すりこぎですりつぶして、じゃがいもをまぜて、コロッケみたいにしてフライパンで焼いたら、ものすごくおいしかった。

               §

夕方、西新宿の確認検査機関へ。
「大井松田の家」の完了検査申込書を提出。
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  2009年11月9日(月)   
銀座で一番好きな建物、がこれ、シネパトス……いや正式には「三原橋センター(1952)」設計は土浦亀城。

もともと堀があって、橋だった場所に、その橋を反転させた地下建築という、戦後のトラフィック・ダイナミズムな発想。
中の「三原カレーコーナー」というところで、先日カツカレーを食べた。おもしろかった(笑)。他に小料理屋の「三原」があり、外に出ると近くには昔「三原小路」があり「中華三原」というのもあった。

日本は戦後「各自治体が勝手に地名を変えて良い」というとりかえしのつかない大罪をおかしたが、ここには地名が建物に食い込み、店名にまで食い込んでいるすばらしい様がある。

               §

夜、19時、音楽隊の練習で代々木。
ウォームアップの重要性を知るに足る。
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  2009年11月8日(日)   
お腹がすいたまま寝ると、夢のなかでずっと料理をしている。
ドレッシングをつくる夢をみながら、めざめる。

             §

少し用事を済ませ、地下鉄に乗る。門前仲町の富岡八幡宮で骨董市をやっているのでのぞく。白い陶製のフックを2個買う。
永代橋を渡り、人形町まで歩く。
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  2009年11月7日(土)   
「二十年来、もう本をもっていない。自分の書いたものも焼いた。わたしは生ま身の自分を推敲するのです……残したいと思うものだけを記憶に残すのです。」
『ムッシュー・テスト』ポール・ヴァレリー(岩波文庫)

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午、銀座の伊東屋へ。「大井松田の家」の腰張りに使用する“手透き奉書紙”を入手しに。

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15時、渋谷、和田氏とともに新しいライブハウスへ売り込みのため音源を持ち込む。夜には先方から連絡があり、一発OK。

来年一月の渋谷デビューが決まった。
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  2009年11月6日(金)   
午後「大井松田の家」現場へ。

最寄りのJR御殿場線「相模金子駅」は無人駅なので、suicaは使えない。ので、国府津で一度改札を出て、切符を買ってまた改札に入り、JR御殿場線に乗り、降りる時に車掌さんに切符を渡す。そこでsuicaを出してしまうと、たぶん何か処理はしてくれるのだろうが、ちょっぴり電車を止めてしまうことになる。

帰りは?切符のないまま乗り、そのまま恵比寿に到着するのがいやなので、また国府津の改札で「相模金子から」と言い、190円払い、改札を出、またsuicaで改札に入る。

一度、恵比寿まで切符なしで乗って、恵比寿駅で「相模金子から」と言うと、駅員さんはどんな顔するだろうと思うのだが、勇気がなくてできない。

               §

電車の中で、おばちゃんたちが「あら、相模金子って人の名前みたいね、ケタケタケタ」と笑っていたのがおかしかった。
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  2009年11月5日(木)   
午後「蓮根の家」現場へ。
サッシがつき、屋根が葺けている。工程も良好。

終了後、JR「北赤羽駅」まで歩き、駅前のスーパーマーケットLIFEで、スネ肉やネギを買って帰途につく。

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  2009年11月4日(水)   
終日、事務所にて作業。
メールの調子が悪いので、古いメールとかを消して、容量を増やしたら、たぶん、復活した。

夜、野球をみながら、鰆の西京漬を焼いて食べる、旨かった。
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  2009年11月3日(火)   
「人間による創造は、自分の身体のためになされるか(第一の原理)、自分の魂のためになされるか(第二の原理)のいずれかで、前者は実用性と名付けられる原理にもとづき、後者は美の名のもとに人間が求めるものだ。」

「しかし他方で建築ないし創造をする者は、世界の他の部分や自然の運行にかかわり、しかも世界の他の部分にしても自然にしても彼のつくるものをたえず解消させ、腐敗させ、あるいは倒壊させてゆく傾向(第三の原理)があるのだから、彼は第三の原理をみとめてそれを自分の作品に伝えようと努めないわけにはいかない……」

「建築だけがそれら三つの原理を要請するし、建築だけがそれらを最高度の地点にまで到達させる。」

『エウパリノス』ポール・ヴァレリー(岩波文庫)

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ユイスマンスの作品を耽読したポール・ヴァレリー
ポール・ヴァレリーの作品を耽読したル・コルビュジエ

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餃子の日。
東京駅で降り、大手門から皇居に入り、平川門で抜け、神保町へ。
岩波ブックセンターでポール・ヴァレリーを買い、「スヰートポーヅ」で、焼き餃子12個、水餃子10個、包子5個を食べ、上野まで歩く。

「吉池」で鰆を買い、家に帰って西京漬にする。
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  2009年11月2日(月)   
「やがて、彼は自分が生きている時代の牢獄から荒々しく脱走を企て、思いのままに他の時代を放浪するようになる。」

「ある者にとっては、それは過去の世紀の消えはてた文明、死滅した時代への復帰であり、また他の者にとっては、それは幻想と夢想への渇仰である。」

『さかしま』J・K・ユイスマンス(河出文庫)

               §

終日事務所にて作業。
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  2009年11月1日(日)   
新宿駅 8:14発「ホリデー快速河口湖1号」に乗る。
「相模湖駅」9:14到着。

与瀬神社脇から、11:20明王峠へ、みそ汁とまんじゅうで小休止。

12:30景信山到着。天上の食卓にて、ラーメンをつくり、有名な天ぷらを加える。

小仏峠経由で、14:30バス停、さらに歩き15:40高尾駅到着。

「玉川屋」で、もりそばとビール。
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