[編集]
2009年10月

  2009年10月31日(土)   
ずっと、干物を焼いている。

                §

午後、を買いに、新宿まで歩く。


▲top

  2009年10月30日(金)   
朝から、一昨日の血液検査結果を聞きに病院へ。
問題なし(自己判断)。

GOTが2年前より下がり、40台。「お酒を減らしたのですか?」と医者、「いいえ……むしろ増えています……」「なぜでしょう、再検査が必要ですね」と、何度も病院に通わせたがる。  GPTも37……。

とてもじゃないけど「これを半年間、毎日欠かさず飲んでます……」とは言えなかった……。

血糖値も、朝食後2時間で87、まだ糖尿病じゃないみたいだ……。

               §

午後「大井松田の家」現場へ。
「大工さんが残した10mmの“ちり”のうち5mmを左官屋さんが使い、残りの5mmを建具の引きしろとして残す……」といった設計になっているのに、左官屋さんがパテを盛り過ぎて、建具と擦れる。そうならないように、現場で指導するのが、現場監督の役割。できていないと、とうぜん、建築家はキレる。血流に悪い……。

何度でもやり直しゃいいんだろうというその姿勢、取り組み方が、気に入らない。

               §

プリプリしていると、建て主さんがものすごい量の干物をお土産に持たせてくれた。たぶん、いつも途中下車してウロウロしているので(早く帰って干物で一杯やりなさい……)というメッセージだと感じ、まっすぐ東京に戻る。

JR御殿場線「相模金子駅」ホームより、富士山を望む。
▲top

  2009年10月29日(木)   
終日事務所にて作業。
ポートフォリオ作成等。

               §

40年前の「グヤトーン・バイオリンベース」が届いた。
ガレージ・パンクっぽさが滲みでているが、当分はおもちゃにしておこう。

▲top

  2009年10月28日(水)   
朝食後、体調が悪く、ヒゲを剃り、病院へかけこむ。
「心電図、肺と首のレントゲン、血液検査、問診」

診察料 :273点
検  査:941点
画像診断:568点
投  薬: 68点
調剤技術料:89点
薬学管理料:30点
薬剤料  :70点

ミオナール錠
ユベラNソフトカプセル

原因不明、心筋梗塞ではないらしいが、どうやら「壮大な肩こり」ではないかと……。

               §

夜、電気的音楽隊の練習で、代々木へ。
終了後、ワダさんと餃子を食べながら、肩こりの話をする。
▲top

  2009年10月27日(火)   
午後「蓮根の家」現場へ。
順調。

帰り、新宿の「小田急デパート」「京王デパート」の食器売り場をじっくりとみる。

夜、牛筋を煮込む。
▲top

  2009年10月26日(月)   
終日事務所、ポートフォリオの整備等。

夜、懐石料理の研究をはじめる。

懐石料理では、料理に先んじて、器をきめるそうだ……。
器が、ない。“人間として大きな器”とかではなく、フツーの器が欲しいのだ。
▲top

  2009年10月25日(日)   
雨の日曜日、東京は静かだ。
“銀座系建築”文章、2000文字、一気に仕上げる。

一歩も外へ出ず。

          §

夜、連れ合いが諏訪の旅行から帰って来た。
お土産は野沢菜と味噌。

昨晩つくりおきしておいた「白身魚のしんじょう」のお吸い物と、しめじごはんを食べる。  “しんじょう”、昨晩、自分がカシャカシャとメレンゲをつくっているのがおかしかった。

夜が更ける。
▲top

  2009年10月24日(土)   
「一枚だけ横浜で写真を撮る」という仕事と、アーティスト志村信裕氏の展示「うかべ」が、横浜美術館ではじまったことが重なったので、横浜へ。

               §
「うかべ」について

志村氏の作品にはそもそも“コピー機が表出する偶然の画に触発された映像作品”があり、その抽象性は高かった。その抽象性とはつまり、鑑賞者が“それがコピー機から排出された偶然の画像”であることを想像することは難く、またそのタネを解き明かそうという欲求さえもおこらないほどの抽象性である。現前の映像・事物そのものと何の介在も得ずに対峙すること、もしくはその大きさ故、何者かも存ぜぬその映像の海に飲まれることの快感は概ね目されていたことであり、また鑑賞者も素直にそれに従った。

「うかべ」の前に「赤い靴」があった。それは誰もが知っている具体的な赤い靴そのものであり、事物のもつ本来のあり方を転位させているにはせよ、それはそれで“タネ”は明かされていた。

「うかべ」は、その二作品に身を浴したことのある鑑賞者にとっては少々やっかいである。そこに浮かびくるものは一体何なのか?“タネを隠したり、明かしたり”すること、それを操作することはアーティストの意図ではないにせよ、うかつにも最初そんなことが頭の中で邪魔になった。いやもしかしたら、それはアーティストと鑑賞者のかけひきそのものも、その作品の一部として享受させようと、アーティスト自身が図ったのかもしれない。

「タバコの煙で輪っかをつくたか?いやそんな名人いないだろう……」作品をつくるといって、ずっとタバコを吸い続けている志村氏を想像することはできない。

「ぬぬ……この浮かんできた後の“消え方”に鍵があるのでは……」水か……泡か……気泡か……バブルか……

寝椅子に寝転んでずっとそんなことを考えることにより、作品と対峙する時間、そこでの滞留時間が増し……いつもと違う時間の中に自分がいることに気づく。

「横浜美術館」建築家丹下健三76才の時に産み落とされたバブル経済期建築・ポストモダニズム建築の権化、虚構としての古典主義、虚構としてのシンメトリー、虚構としてのピラミッド、虚構としての大階段、虚構としての権威主義……

その虚構をあざ笑うかのように浮かぶ、志村信裕の作品「うかべ」

               §

美術館内での写真についての一考察
▲top

  2009年10月23日(金)   
午前、銀座系建築の文章の写真組など企画構成案作成、メールで出版社へ送り、打診。

午、品川駅「常盤軒」の「お好みそば」……何をどれだけトッピングしていいのかわからず、なんだか退廃的なことになってしまい、落ちる。

グリーン車車内で、今日は寝ないぞ……と、スケッチブックに、銀座系建築の文章の“スケッチ”をする。だいたいいけそうだ……と目星がつく。

             §

「大井松田の家」現場。
ようやく、現場で叱咤しなくてもすむようになってきた……。このままうまく竣工してくれ……。

             §

帰り、気分がいいので「大磯駅」で降り、三日月の明かりの中「平塚駅」まで歩く。お腹がすいたので、「老郷」という渋い店構えのラーメン屋があったので、入ってみる。
“タンメン”というものを頼むが、それは僕が東京で覚えたあのタンメンではなく、衝撃の味だった……す、酸っぱい……わ、ワカメ……、な、生タマネギ……落ちる。

             §

帰りの車内、「カムイ外伝」を読みながら(まだまだ関東のことわかっちゃいねえな……)とつぶやく。

事務所にもどると、メールで打診した企画案にOKが出ていた。
▲top

  2009年10月22日(木)   
終日事務所にて作業。

               §

夜、絵を描く。
絵を描いている時が、一番ココロが落ち着く。
▲top

  2009年10月21日(水)   
天気の良い日がずっとつづいているようだ。
が、終日事務所にて作業。

美術館系文章に決着をつける。

               §

夜、ポテトチップスをつくる。
▲top

  2009年10月20日(火)   
「K2日記 六周年記念日」
※関連イベントや一般参賀は特に予定されていません。

(中継)
朝、「なめこと豚バラの炊き込みご飯」できました。
▲top

  2009年10月20日(火)   
(午めし中継)
炊き込みご飯、青ネギ
白菜を炊いたもの
卵焼き、タマネギスライス、切り干し大根
れんこん、だいこん、塩漬け豚バラを炊いたもの
煎茶

              §

夜、高校と予備校の同級生結城君が上京して来たので会うことに。
「新宿のホテルや」というので、新宿に行くと、「すまん銀座やった」と。
結局恵比寿の「あすか亭」で会うことに。

恵比寿に住んで18年のK2おすすめのお店。
あすか亭三橋屋さざんか大吉天童カチャトラ一平
▲top

  2009年10月19日(月)   
魯山人について、少々の弁解が、もちろん必要。
では、本人から……どうぞ。

「しかしながら自己の作品になると意の欲するところとは、距離甚だしくして嘆息を重ぬるのみであることを常に悲しみつつある。これ批評に於いて猛獣の如く傍若無人なるも、自己作品に付いては少女の如く恐れ遜する理由である。」『魯山人陶説』より

「自己作品に付いては少女の如く恐れ遜する……」というところに、ぐっとくる……。

               §

おもちゃのようにかわいがって、なかなか日の目をみない「神保町マップ」に異変がおきた。ネタにしていた「上島珈琲店」がなくなるというのだ……。 がっくし……。

神戸系本屋「ジュンク堂」でさえ進出できない神保町に進出した「神戸系珈琲屋UCC(上島珈琲)」、惨敗だ……。おそるべし、神保町……、気を引き締めてかかれ、神戸系建築家OCM!(笑)

              §

朝から「蓮根の家」現場へ。構造設計者による、金物、耐力壁の確認。
問題なし。午後、執筆等。

K2日記にないもの……   “阪神タイガース以外の”時事ネタ。
好鳥は俗韻を吟ぜず。
▲top

  2009年10月18日(日)   
濱田庄司と河井寛次郎の本の中に「魯山人」という文字がみあたらない。
それぞれ魯山人の11才下と7才下、ほぼ同時代に行き、昨陶している……あやしいと思って資料をあたると、やはり……。

「河井寛次郎の製陶もとうとう世も末になってしまった……。 退歩を続けている……。彼が何十年間、何の勉強もしなかったことである……。万策尽きて沈黙に等しき出鱈目をやっていることである……。何の取り柄もなくなってしまった……。残念ながら私は彼をここに見捨てねばならぬ……。」
『魯山人陶説』より

ボロカスだ。昭和27年、魯山人69才。

興味があるのは、ボロカスの内容でなく、しっかりとした(批判を含んだ)批評が、匿名でなくされることができ、なれ合いでない文化的な世界があったということ。

               §

終日、書物と戯れる。
▲top

  2009年10月17日(土)   
散歩の仕事で、銀座へ。
ヴィトン、カルティエ、シャネル、ティファニー、アルマーニ……パチンコ屋と同じくらい日常的には用事のない建物にかたっぱしから踏み込む。

おおむね「K2的な特記が何もない」ことを確認しに。

終了後、穢れを祓うため、「ライオン」ででかいビールを呑む。

                   §

合羽橋へ移動。
日常的に使用頻度の高い“半ラーメン”くらいの器を求め、「白山陶器」でちょうどいいのがあった。

雨だ。

入谷から地下鉄で仲御徒町へ。
「神田ッ子」で還俗。

日が暮れる。
▲top

  2009年10月16日(金)   
午後「大井松田の家」現場へ。
あと一ヶ月で竣工、楽しみだ。

夜、「蓮根の家」建て主Kさん、来所。
上棟したというのに、まだフローリングが決まっていない。

Kさん「ほら、このウイスキー樽のフローリング、虎斑が入って、きれいでしょ」
K2「いや〜高いよ、B'zのギターじゃないんだし……」
Kさん「いやそこをなんとか!」
K2「ダメダメダメ、空間になじまん。それに、自分でオイル塗れるの?」
Kさん「大丈夫です、塗ります!三茶のギャロップでワトコオイル買いました。」

云々カンヌンといったやりとり……
K2の足元には、日本酒と焼酎の紙パックが……

夜が更ける……
▲top

  2009年10月15日(木)   
外国人は、一升瓶が理解できないらしい。
理由は「大きすぎる、持って飲めない」とのこと。

感覚とすれば、ドンペリとかワインの「マグナムボトル」が、大きいと感じる、日本人の、あの感じなんだろう、きっと。

               §

午まえ、「蓮根の家」現場へ。耐力壁や、金物の確認。
工事のスピードが、早い、屋根はもう「野地板、断熱材、タイベックシート」までいっている。

夜、代々木にて電気的三重奏音楽隊の練習。
ドラムさんが、体調不良で欠席だったので、ギターのワダさんと、逆に細部まで音のチェック。
▲top

  2009年10月14日(水)   
濱田庄司はこう書いている。

「『スタジオ(英国の美術雑誌)』は丸善や神田の古本屋には数は少ないですが、たえずありました。その中に、オーストリア・ハンガリーの農民美術の特別号がでたことがあります。一九〇八年から一〇年くらいの頃で、はっきりした年号は覚えておりませんが……。その中に、百姓家の台所の食器を飾る棚がありまして……私もそれに心ひかれて、こういうものをつくってみたいと思っていましたし……」

濱田の7つ年上が、ル・コルビュジエ。
ル・コルビュジエが「東方の旅」に出て、ハンガリーあたりの農民芸術をほめちぎったのが、1911年(明治44年)のこと。

それが、ル・コルビュジエ独自の内面から沸き溢れてきたものなのか、何なのか気になっていたが、おそらく、旅の前、パリのペレ事務所で「半ドン」で働きながら、図書館に通い勉強していたル・コルビュジエのこと、「必ずや」その『スタジオ』誌を目にしたに違いない。

「丸善や神田の古本屋」にあるのだから、パリではポピュラーであったろう。

ピカソに「アフリカ彫刻にやられた時代(1907〜8)」というものがあるが、それとも一致している。

英語圏の哲学専攻だった柳宋悦は、1914年頃から名もなき朝鮮美術に興味を持ち始め、1923年頃から民芸運動を開始した。

               §

終日事務所にて作業。
▲top

  2009年10月13日(火)   
先日、結婚式のヒキデモノにをいただいたので、それ以来、畳の間は、それで掃除をし、屑は、掃き出しの窓から外へ掃き出している。

一つ、重要なことに気づいた。
「ゴミ屑を見る」ということ。その量と、中身。

昔の家政婦さんはきっと、そのゴミ屑をじっとみつめて、いろいろな妄想と戯れたに違いない。

               §

終日、事務所。
ほったらかしにしていたポートフォリオの作成。

エクセルの使い方がわからず、晩、連れ合いに教えてもらう。
▲top

  2009年10月12日(月)   
「味をいう人は、見方はこまやかでも、どこか品物に捕われている。感じでみる人は、離れて自身の角度でぶつかっている。  味は部分で感じは全体。」
『無盡蔵』濱田庄司(講談社文芸文庫)

               §

1820×90×14の杉材を4枚買ってきて、棚をつくる。
歩留りよく、端材が出ぬよう構成。

奥行き9cm、三寸で世界をつくる。
▲top

  2009年10月11日(日)   
ベスパに連れ合いを積んで、世田谷通りを西へ。
多摩川河川敷でやっているもみじ市へ。
いかにも「クウネル」とか「アルネ」とか「日々」とかを読んでますといわばかりの、一種の仮想現実状態に、びっくりする……。
多摩川べりをポコポコとスクターで走り二子玉川ではらドーナッツを食べる。なるほど、うまい。
駒沢通りを東に走り、駒沢バッティングセンターで、17球。
さらに東へ、学芸大学のカメピガリホトをやっているので、のぞく。
maison romi unieで、クッキーを買って、エビスへ。
taniserlimartをのぞき、スーパーマーケットで半額の牛肉を買って帰る。

日が暮れる。
▲top

  2009年10月10日(土)   
晴れ、大安。
午すぎ、板橋区の「蓮根の家」現場へ、本日が建て方(上棟)の日。
特に、問題がなさそうなので、蓮根の街をぶらぶら。

とんこつラーメンを食べ、バッティングセンターで42球打ち、喫茶店でコーヒーを飲み、ダイエーで御神酒(おみき)を調達していると、16時に。再び現場に戻る。

              §

写真:建て主ご家族を撮る親類の方を撮るK2。
▲top

  2009年10月10日(土)   
夕方から上棟式をしていただく。
建て主さんがわの親類縁者の方が多くいらっしゃって、めでたい宴となる。

御神酒を八合差し上げたのに、北区の小山酒造の一升瓶をいただいて、恐縮。

               §

「これが最後の上棟かもしれない……」と、いつも思いながらやっている。
建築の仕事がなくなれば、どこか名園の草むしりをして生涯を終えたいと、ずっと昔から考えている。
▲top

  2009年10月9日(金)   
建築家今井兼次が設計した根津美術館が50才余りの生涯を遂げた。
朝9時から、建て替えられた新しい根津美術館を取材に、都会のど真ん中、青山へ。

設計はK2の九つ年上の隈研吾という人。
彼が何を成したかを、吾、唯、知るに、足る。
▲top

  2009年10月9日(金)   
取材終了後、カメラマンさん、ライターさんと分かれ、T編集長と打合せし、文章の“エスキス”を渡す。
事務所にもどり、K2日記を更新して、品川駅構内の常盤軒で「豚バラ天とタマネギニンジン天のそば(¥520)」をかき込み、東海道線に乗り、「大井松田の家」現場へ向かう。

               §

超低気圧前に刈られた田んぼ、刈られなかった田んぼの稲は、やはり2割くらい倒れていた。

朝みた「新根津美術館」とOCMの「大井松田の家」、何か共通点はあるのか……。ある、同じ三州瓦の丸栄陶業を使っていたことが今日わかった。

そりゃそうだな、関東だもんな、石山修武は岡山出身だから淡路の瓦を使うけど、普通は関東は、そうだよな……。

建築ツウ検定
アト一つ、日本の三大瓦産地はどこでしょう?

               §

今年の阪神タイガースは、終わりました
▲top

  2009年10月8日(木)   
突風と青空を置いて、超低気圧が去ったので、午、“カラダを使って”文章を書くため、銀座に独りでフィールド・ワーク。

銀座、ものすごい建設ラッシュ、ということは、同じ数だけ消される建築。今日も一つ、好きな建物に「解体工事のお知らせ」看板が貼ってあり、ショックを受ける。

「京橋三丁目ビル」、昭和53年生まれ……享年31才……。
設計は村野藤吾だ……。

お知らせ看板には「有害、アスベスト云々……」という、濡れ衣……ひどすぎる……。

               §

写真、そのビルのかわいい庇……この庇を壊せる、この国の神経……。
「建築ツウ」の力が及ぬ……この無力感……。
▲top

  2009年10月8日(木)   
夜、レモン牛乳で、バヴァロアをつくった。

連れ合いに好評だった。
▲top

  2009年10月7日(水)   
終日事務所にて作業。
主として、“美術館系”文章、筆の暖気運転が終わり、動き始め、筆に乗ったところで、暖まった筆はそのままに、筆から降りる。

夕方スーパーマーケットへ。

夜、鶏ガラスープをつくる。
▲top

  2009年10月6日(火)   
「新しい自分が見たいのだー 仕事する」
「ひとりの仕事でありながら ひとりの仕事でない仕事」
「わびとさび  貧乏の美 かたづけられた貧乏」
「まっすぐなものしか まがれない まがったものしか まっすぐになれない」

『火の誓い』河井寛次郎(講談社文芸文庫)

               §

河井のコトバは、“あいだみつお的な気持ち悪さ”の疑念をはらみつつも、シュルレアリズムの、アンドレ・ブルトンの、詩のようなたたずまいも持っている。     ブルトンは、河井の、6っつ年下。
▲top

  2009年10月6日(火)   
終日、一歩も外へ出ず、閑居に蟄居。
夕方、電話、新しい「文章と写真」の依頼有り。

               §

夜、栗の皮むき   失敗。
ボロボロになった栗を前に呆然と自失していると、連れ合いが帰ってきて、それを手早く「栗ケーキ」に窯変させてくれた。
▲top

  2009年10月5日(月)   
もう一度宇都宮に行かねばならない。神保町の神田教会を設計したM・ヒンデルの「松ケ峰教会」のミサに出たいし、「大谷石資料館」も行かねば、湘南新宿ラインだと乗り換えなし……また餃子を食べ、レモン牛乳を飲み……。

              §

朝から文章を書く。600文字だが、わざと1500文字まで膨張させ、舌の根が乾くまで、干す。

台風がせまっている。その進路を予想し、工務店さんと、建て主さんと連絡をとりながら、上棟可能な日をさぐる。

▲top

  2009年10月4日(日)   
新幹線に乗り、宇都宮へ。そこからレンタカーを借り、益子に遊ぶ。

益子参考館で濱田庄司の蒐集物と触れ、レストラン古陶里で食事をし、益子陶芸美術館にて、“河井寛次郎の真実”を垣間見、立ち並ぶ陶器屋や共販センターで、物色。濱田窯のそばちょこ、雑器の一輪挿し、豆急須、おちょこ、栗1Kgなどを購入。 日が傾く。

               §

夕陽を追っかけながら、宇都宮まで車をとばし、正嗣でぎょうざを食べる。

おみやげに駅で「ぎょうざピーナッツ」「ぎょうざカマボコ」「レモン牛乳」を買う。
▲top

  2009年10月3日(土)   
朝から、「国分寺の家(2009)」引渡。
もう、荷物が運び込まれ、工事現場が、“人の家”になりはじめていた。

終了後、西国分寺ー吉祥寺ー明大前。
連れ合いと落ち合い、今日は餃子の日なので、明大前のきむらやにて、餃子、タンメン、チャーハン。

               §

夜、満月を片手に、恵比寿を徘徊する。
▲top

  2009年10月2日(金)   
朝から「国分寺の家(2009)」へ。
建築の世界には不思議なコトバがいっぱいあるが、そのひとつに“ダメ”というものがあって、ふつうに工程表に“ダメ工事”とか“ダメ直し”と表記されている。主に、目にみえる仕上の部分の話。

明日が引渡し、その“ダメ直し”の完了具合を検分。

建て主さんのおかげで、工程最終部分にしっかりと余裕をもたせてもらったので、少々厳しい設計者の“ダメ出し”も、対処されていた。

写真:「国分寺の家(2009)」の畳の間。もう、いくつ床の間を設計したことだろうか……。格式が高かろうが、カジュアルだろうが、床の間は床の間。掛けても床の間、置いても床の間、要は気持ちの問題。その設計は、建て主さんから、唯一、自由を与えられる部分(笑)。

              §

終了後、西国分寺ー八王子ー町田ー新松田ー相模金子とJRと京王を巧みに乗り継ぎ「大井松田の家」現場へ。

多くの“ダメ直し”を指示し、現場監督を叱咤し、久しぶりに温泉に行こうかと思っていたが、真っすぐ恵比寿に戻る……。
▲top

  2009年10月1日(木)   
事務所にて作業。

夕方、西新宿の確認検査機関に、「検査済証」をとりにいく。
他に用事がないので、京王デパートの阪神タイガースコーナーをのぞき、CS進出の奮起をうながす。

夜、クリームシチューを食べる。
▲top